2015年6月16日火曜日

大々的に反省したうみかぜ公園・撃沈編


3月の下旬、浦安で撮ったひとコマです。カレイを釣った常連氏とたたずむ猫たち。

ほのぼのした光景を三浦半島屈指の猫キチ釣りエサ店主ハマダさんに見せよう。

ハマダ店主はおおいに気分をよくし、アオムシ、マムシ、ストロームシ、、、、、、

なんだか、虫さんたちも、いつも以上にビンビン元気がよろしいような。

先客さんたちの待つうみかぜ公園へ意気揚々と、ほんと張り切っていたのです。


メンバーはいつもお世話になっている黒ヒツジことM川さん(中央)

黒ヒツジの投げ釣り仲間のO木さん(右)

この日のうみかぜ公園は、ゴマサバが回っていたこともあり、平日にかかわらずヤッチャ場の状態。なんとか、私とヒツジ=釣り執事の入れるところを探して精一杯。

それでも、久方ぶりに仲間たちに会えて燃えていた、、、燃えていた、、、はず!?


ところが、、、先客のふたりは、ちょっとトーンが違っていた。

黒ヒツジ「マダム、ようこそ、まずは駆けつけの一杯ですぜ!!!!」

O木氏「ねえさん、今日は人も多いし、お祭りだ! ガンガン行きましょうや」

私「そ、、そうかい? 悪いねえ、んじゃ仕方ねえ、ちくっと呼ばれていくかな」

私が、そんな、ちくっとで済わけない!!!


おかげ様でこの日、私がアタリをとった、掛かったというのはキュウセンの女王1尾のみ。

あとは、いったい、なにが、どうなったものやら、、、、ごめんなさい、みなさま。


青空スナックうみかぜ公園、横須賀ベイエリアの定番サロンは怪気炎の状態。

O木さんの奥さん、ノリいいじゃん、若くてノリのいい女子がいると、私もついつい混合気を開けてしまいましてね。第1コーナーまでもたないとか言われておりまして。

全開、全開、また全開。ありがとうございました、ごちそうさまでした。

そして、ごめんなさい。ごちそうさまでした。ごめんなさい。


一方、ヒツジといえば、、、、、。

フラフラになりながら、キスをポツポツとは掛けていたようです。

写真の右端に、爆睡中の私の足が、肉片のように写っています。


ヒツジはキスが掛かるたびに、私を何度も起こそうとはしたようです。

いいキスが釣れてました。しかし私はピクリともせずZZZZZZZZZZZZZZZZ。


置き竿にしていた私の竿が突然はねあがり。

飛びついたヒツジもたまげたそうですが、戻ってきたのはこの姿。

いよいよ、この手合いの方々もうみかぜ公園へ進出してきたようです。

すべて翌日、ヒツジから聞いたハナシとして。


また、黒ヒツジ、O木氏は、高いオクタン価を気力と体力に変換し。

O木氏は、本命の30センチ台マコガレイを獲得。黒ヒツジは、回遊してきた大型ゴマサバを手際をかえて獲得。一応の釣果をみたそう。

さすが、ですね。さすが。でも、私には見習えません。寝ます。


お天気はよく、潮風もほどよく優しい。

海辺で風に晒されて眠るには最高の青空スナックうみかぜ公園。

「マダム、看板ですんで、そろそろ、お勘定のほうを、、、、、」

ヒツジに担がれるように駐車場のクルマに戻ってからもまだ熟睡。

酒精も抜けて目が覚めると、あたりは真っ暗。外灯のみ。ズガーン!!!

私の大切な休日が終わっていました。反省、大反省。みなさん、ごめんなさい。

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2015年6月6日土曜日

井月の影を慕いて、ぶらり伊那谷へ


井月とは、せいげつ、と呼びます。私の好きな俳人のひとりで、年代的には幕末から明治の中期までのひと。もとは武士だったらしく、でも詳しい素性は知られていません。

そこで書物も少ないのですが、彼の詩情、句を詠む状況、生き方。

強く惹かれておりまして、こころが苦しくなった時に彼の俳諧の本をとりだす。残されている句作を反芻しているうちに、ああもっともだと救われていたりもしまして。

その彼が、突然あらわれて、、地域に浸透し、終焉を迎えた土地。長野県の高遠町、伊那市。伊那平とか伊那谷と呼ばれている一帯。

地形的、交通のルートとしても、関東からはなかなか行き辛くて遠い街。

そこへいきおい、ハラを決めて、ぶらりと、とんぼ帰りして参りました。もちろん、本ブログのメインテーマである釣り竿は片時も離さず握りしめておりました。

山深くとも、水、川あれば、魚はいらっしゃるだろうと。苦笑、自嘲、の徘徊。


休みの日。朝いちの新宿発あずさ号は甲府から傾斜を駆け上って上諏訪駅に到着。

ホームには足湯がある。さすが湯量の日本一。太っ腹だぞ諏訪市。いやJR東ニホンなのか。しかし以前は足湯も露天風呂だったとか。緊縮したのか? それはどうでもいい。


思わず目のいく、上諏訪駅前の、飲食街。

いい感じ。「朝定食」という文字もたまりません。呑んだ、ハシゴした、朝になった。

いえいえ。出勤のため駅にきた、朝を食べずに家を出た、電車に乗る前、なんか喰うか。

全国一律、どんな街に行っても、私のような人はいらっしゃる。うれしかあ。

諏訪地方という、どちらかと言えば「堅実」なイメージの街にもこれはある。

朝定食のしたに「そば」と書かれているし。

しかしいまは、それは、どうでもいいこと。先を急がねば、、、、、、、、、、。


ところが、、、、、、、、、おったまげました!!!!!!!!!

飲食街の並びにコンビニ、それはフツーですが、店内に「立ち食い蕎麦」がある!!!

まったくもって、フツーではありません。見落とせない。尋常ではないコンビニ。

コンビニといえば、24時間営業は当たり前、長野県といえば蕎麦の聖地。

意地がある。立食いそばぐらいは、24時間やったろうやないの! みたいなオーラ。

しかし、今日はいままで以上に時間がない。帰りの電車寸前に食べるしかないと沸き上がった欲求にブレーキをかけて、立ち去る。帰りに寄ります。必ず。

レンタカーで駆け出しました。後ろ髪ひかれながら。


まるで学府のような威容を誇る建物。諏訪湖畔に建つ「片倉館」

昭和の初期に、養蚕と製糸の女工さんへの福利厚生で建てられた千人風呂とか。

これにもたまげました。

正直な話、私の生まれた家の近所にも「片倉さん」の巨大な製糸工場がありました。だから「片倉さん」は地場の会社なのだと幼少より信じきっておりましたが、諏訪湖のほとりが本家本元なのですね。凄すぎます片倉さん。

世界遺産になった富岡の工場だけでなかったんですね、凄い、すごすぎる。


開湯時間(いまも現役稼働)は10時。千人風呂。見てみたい。入ってみたい。

湯量日本一の上諏訪温泉を掛け流して1000人の女子をいっぺんにお風呂に入れた片倉さん。すごすぎます。悠久なるシルクロードの旅。行き尽いたのは諏訪湖でしたか。

しかし、今回はあまりにあまりに時間がないので、こちらも後ろ髪引かれる想い。

それぐらい、伊那谷は、遠いところなのです、湯浴みできなくて、ごめんなさい片倉様。


上諏訪駅から国道20号を南下。茅野市からワインディングをいっきに駆け上った杖突峠。

杖を突いて上がった先人たちの苦労の偲ばれる厳しい勾配もいまは国道。

アクセルを踏み込んでジグザグにハンドルをきって峠の茶屋での一景。

ベランダ状の展望台からは、さっきまでいた諏訪湖が一望できました。


杖突峠をピークに、高遠町を目指してすこしづつ高度をさげる。

里山の現れるたびにちいさな川が現れて、棚田をくだって水かさが増えていく。

黒い影がちらほらと四散するのは、どんな魚なのか?

前日に雨が落ちたこともあり、濁り気味の水のなかに目を凝らしたり。

いわゆる、里山ツーリングの様相になってきました。


高遠町に到着。

城跡の高台から城下、伊那谷にかけての街並が見渡せました。

向こうに見えるのが中央アルプス。山の頂きにかかる雲のまにま。

初夏の青空に雪山がほんの少し頭をのぞかせてました。

井月さんは、いいところを見つけて、暮らしていたようです。井月の句作。

落栗の座を定めるや窪溜り

各地を漂泊、放浪してきた俳人が、定めし住処と感じたのでしょうか。


高遠藩は、譜代大名(徳川家の親族および代々の御家人など)が治めた地。

前回ブログの金沢・加賀前田藩は外様大名の最大級ですから、まったく違った身内の小藩の趣き、といえます。そこがまた、こじんまりして落ち着いています。

その「城下通り」を歩いているうちに、気がついたこと。

城下のメインストリートはキレイに新装開店。それがどこか川越市に似ていたりして。

つまりは、伊那にも「小江戸」があったのかなと、漠然とした感情が、、、、、。


高遠町から伊那市にかけての緩い傾斜の水田地帯。井月のお墓を探して走り回る。

早苗の植え終わった水田に中央アルプスの山々が映る。

なんとも勇壮で、美しいパノラマに、見惚れて、立ち止まる。

井月は詠む。

泥くさき子どもの髪や雲の峰

農村で遊ぶ子どもたちの、いきいきした様子が窺えます。


数基の墓石が集められた木立、ついに井月のお墓を発見。

案内板がなければ、見つけられないほど、ささやかな場所でした。

井月の最後は、野垂れ死に。かつての俳友たちのなかで、こころある者によって、

せめてもの供養が施されたようでした。辞世の句とされる吟詠。

何処やらに鶴の声聞く霞かな


川原から、拾ってきたとおぼしき小さな丸石がお墓。

井月らしい。思わず手をあわせて、埋葬した人たちの気持ちを想いました。

どこからか、ふと現れて、伊那の地で吟行にあけくれた井月。そして最終章へ。

お酒が大好きだった故人を偲んで、ワンカップが手向けられていたりして、

今日もなお井月の詩情を愛する人の多いことを再確認。私の好きな井月の発句。

酒さめて千鳥のまこときく夜かな

私も毎日、いや釣り場でも、身に沁みて痛感の極みであります。反省。するのですが。


井月の墓参拝も終えて、川原へ出ました。

高遠町から伊那谷へ流れ落ちていく三峰川の河岸で竿を出す。天竜川の支流。

後方は南アルプスへ連なる山々。つまりは、伊那の一帯はふたつのアルプスに囲まれている。開墾は大変だったでしょうけれど、陽当たりがよく、水に恵まれた土地。

しかもアルプスに囲まれているのならば、そう簡単に攻められない。

この土地に目をつけた先人の先進性を想いました。


岸辺のヨドミを流した玉ウキが勢いよく動く。

下流へクーンと走って魚が躍り上がりました。アブラハヤ。

思えば、久方ぶりに魚のアタリや引きを体感したような。アブラハヤ。いやはや。

しかも、いままで、こんな大きなアブラハヤは初めてでした。婚姻の季節。

カラーは鮮やかだし、お腹が大きいし。すぐに流れへ戻しました。


立て続けでアブラハヤが掛かる。こちらも、おなかが大きい。流れへ戻します。

喰いが立つ、という言葉がありますが、日中から玉ウキがよく動きます。

伊那は、初夏を迎えて、魚たちの胎動が始まっているようでした。井月の句作。

魚影のたまたま見えて水温む

流れを触ってみたら、まだ冷たく感じましたけどね。


新緑と川音と、、、、、、流れる玉ウキを見つめる時間。贅沢です。

私はどちらかと言えば、竿にビビっとくる感覚が好きなので、竿先と玉ウキを張ってました。でも、玉ウキを外すとアタリが取り辛くなる、、、、もっと粘磨ですね。

4尾目を釣り落としたところで、なんとなくですが、溜飲のさがった想い。

きっと、この川で、井月も行水をしたり、洗濯をしたり、、、、。

時には、子どもたちと、魚取りに夢中になったり、、、、、、。


ありました!!!

河岸に井月の句碑。子どもたちに負けじと、お尻までまくって鮎取りに興じた夏の日。

後世の人たちに、井月は普遍の愉しみを伝えているのでした。

ここで納竿、、、、ひと区切りとしたのは帰りの電車時間を促す西陽でした。その前に。

なんとしても、上諏訪駅前のコンビニ店内の立ち食いそばへ行かねば、、、、、。

酒とそば。井月さん、私は貴殿を超えた道楽者かもしれません。


 前を行くクルマを追い立てるように走って上諏訪駅。レンタカーを返してコンビニ内の立ち食いそばコーナーへ飛び込みました。

新聞の切り抜きによると、かつて人気を博した中央線・上諏訪駅の駅そば。

これが消えたことに発奮した駅そば好きの店主がみづから復活させたのとか。

つくづく、熱いオトコであります。記事を読んだだけで、期待値が急上昇。


天ぷらは、揚げたて。麺は平打ち。出汁は、きつくなく、ゆるくなく、程よい塩梅。

納得の充実感でした。同時に思ったこと。24時間営業のコンビニエンスだから出来るスタイルの立ち食いそばではなかろうか。ずっと開けているのなら、立ち食いそばも今日に響きあうコンビニ食。コンビニの温かい和食。

西へ行けば、うどん。になります。店主は慧眼なり、なんて、妙に感動の一杯でした。

お腹も膨れて乗り込んだ上りあずさ号。ハイボールの酔いが醒めたら喧噪の新宿駅。

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2015年6月3日水曜日

新しい新幹線で金沢へ


金沢はヒツジ=釣り執事の田舎です。

その法事にともなって、延伸された北陸新幹線に乗りました。

仕事帰り、あたふたしましたが、なんとか発車時間にセーフ。

地下深く潜った上野駅のホームに、新型EW7がすべりこんで来ました。


上野〜金沢を、かがやき号は2時間22分。

あっけなかった、、、、とくに長野から金沢は、高い壁とトンネルで外があまり見えないこともあり、ワープしたような感じ。

ついこないだまで、在来線の特急が唸るように走っていた日本海側の情感がない。

といっても、仕事疲れにハイボールが加わり眠っていただけですが、、、、面目ない。


市街の東側を流れる浅野川。

この対岸付近にヒツジの父の生家があったそうです。

岸辺の護岸が改修された以外は、なあーんも変わっとらん、そうです。

ヒツジの子どもの頃は、魚がたくさんいて、毎日のように魚とり。

いま、その影は、見る影もなく、魚の居ない河川には変わった、、、とヒツジ。


浅野川を高台から眺めました。

加賀前田藩・百万石の城下町。

京都市、松江市と並んで、県庁所在地では数少ない非戦災都市。

いまは、大学城下町。さらに、大学病院城下町とも言われているそう。

写真の右手上には、デーンと構える国立大学病院の威容。

河岸の右手に、ヒツジの通った中学校があります。


金沢市民に親しまれている医王山。いおうぜん、と呼びます。

その中腹にある池にて鯉にエサやり。ヒツジの故人たちもこれが大好きだったとか。

鯉に混じって、鮒、亀も参上しますが、鯉のパワーと数に力負け。

エサをうまくより分けて、撒く腕のみせどころなのです。


法事を終えて、精進の席。

古式慣習の街も、いまは肉、生もの、あまり関係ないのだとか。

加賀茄子、炙りの赤イカ、能登マグロ、ガンド(ブリの子ども)、甘エビ。

雑誌の金沢特集の常連が並んでいて、思わず笑みがこぼれます。


法事を終えて、、、ちょっと日本海へ出ました。

ヒツジの実家にあった竿を積んでます。法事のあとなのに、、、、、、。

いえ、ヒツジの伯父と母は釣りが好きだったので、これも供養ではないかとヒツジ。

釣りバカというのは、なんでもいいようにこじつけますな。

海浜道路(能登さとやま海道)を走ります。


金沢から43㎞北上。羽咋川(はくいがわ)の河口に来ました。

中学生の頃のヒツジは、毎週のように金沢駅から七尾線に乗り、ここへ来ていたそう。

カワガレイ、チンチン、セイゴ、ハゼ。たくさん居たそうです。

この日は季節がずれていたり、まだ早かったこともあり。

ま、過去の素晴らしい思い出というのは、いつも通りの結果です。40年近く前だしね。


たまたま通りかかった常連氏との会話が白熱。

やはり、本格的な開幕はもう少しあと。

加えて河口の上流に造られた河口堰。

これが完成してから、魚たちは遡上してこなくなったと力説。

水の流れが止まり、汽水域の魚には暮らしにくくなったようです。


羽咋川と邑地潟(おうちがた)を分けてしまった可動式河口堰。

いわゆる「ギロチン方式」ですね。淡水と海水(汽水)を完璧に遮断してしまった。

塩害対策とのことですが、日本海側の潮位の差がそれほどありますかね。

さらに淡水側はブラックバスが放たれて繁殖、大問題とか、、、力の抜ける光景です。


羽咋川河口。日本海との接点。

この左手が千里浜。砂浜をクルマで走ることのできる名所のひとつです。

しかし、この砂浜もやせ細っていき、ヒツジの子どもの頃の三分の一の幅しかないとか。

陸地側から川による砂や泥の流出量が少ない。

ここにも可動式河口堰の影響が出てきていると常連氏。


つかの間の釣りを終えての帰途。

ちょっぴり暗くなった気持ちを変えようとアイスで気分転換。

「五郎島のおさつアイス」なのでした。お芋そのもののカタチでした。

「あ、ほんとにサツマイモの味がする!」

おいヒツジ! 旨いのはわかるけどハンドルから手を離すな。


お土産はカレー。

郷土の英雄、松井さんも登場していました。こちらは東京の会社の製作。

ほかに東京にも「金沢カレー」のお店ができていますが、地元とはかなり味が違うとか。

大学城下町ですから、大学生の食文化が育てたB級グルメでしょうか。


かがやき号、ふたたび。

金沢駅の高架ホームから「東京行き」に乗る時代が来ようとは、、、、。

ヒツジの故人たちも、みなこの開通を待ち望んでいたそう。

それは残念ながら果たせませんでしたが、子どもや孫たちはコレに乗り東京へ。

トビラが閉まって富山、までは覚えてましたが、ハイボールも回って熟睡。

目が覚めると、見慣れた大宮の街が近づいていました。

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2015年5月17日日曜日

吉野川よ、四国三郎よ

仕事を終えて、遅い午後の便にのる。
西日をおいかけるように空を飛んで降りたのは徳島空港。

ふと振り返って見たのは、阿波おどり空港、なんでそこまで、、、、、。


徳島には仕事の関係で幾度か来ました。本場の阿波おどりも、かぶりつきで拝見しました。踊りのリズム、高揚感、打ちがねのはやす動悸、素晴らしい! なにもかも。

でも、表玄関の名前にまでしなくても、というのは、踊らない方々もいるでしょうしね。


ともかく、市街地まで行って夕食。とっぷり日は暮れてました。徳島駅前は閑散。

そこで中の洲で駐車場をさがして、新町、眉山が見える! 敬愛なるさだまさし様!!!

いつもながらの浜千鳥。甘いスープの徳島ラーメンをしめに、クルマを停めた地下駐車場。蓄積した仕事の疲れも相まって、気絶、爆睡のレンタカー内。ヨダレを御免。


コケコッコーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ。朝です。

目指したのは、吉野川の河口。干潟でした。潮が引いていたので。

広大です、四国三郎と呼ばれています。私の生地の近所には坂東太郎が流れていますが、

四国三郎ってなんだかカッコいい。それぐらい四国の方々には父であり母であり。

ちなみに筑紫次郎は幾度か見ましたが、やはり「三郎」という響きに惹かれます。


さっそく、エサをつけて投げ釣りを開始。

傾斜している護岸がツルツルなので、構えのわりには、ちょろっと投げただけ。

でも、憧れていた吉野川・四国三郎。

気合いだけは、いつも以上に入っていたのですが、如何せん浅い。

干潟ですから、致し方なしか。魚を驚かせないように、静かにしていました。


ちいさなフグ(らしい?)にエサだけ齧られるので、ちょっぴり上流へ移動。

少しでも河を遡ったほうが深かったため。仕掛けの落ちた衝撃も少しは緩和?

足元も干上がった砂浜のため、すこしは踏ん張れました。

とにかく、美しくて、広くて、ゆったりした気持ちになれる河口の砂地。


近くでは、地元の常連のオジサンが二刀流。

やはり、魚を驚かせないように、小さなオモリでソロリソロリと探っていました。


水辺でエサを探すハマシギたち。

姿と動きがとても可愛くて、見とれてしまう。

いいなあ、四国三郎・吉野川。ゆったりとした時間が流れます。


突然、常連のオジサンの竿がしなる!!!

何度も竿をためてリールを巻く。ヤリトリはさすが年季の入ったオジサン。毎日釣りをされているとか。やがて干潟に上げたのはチヌ。ヒレの黄色いキビレチヌでした。

オジサン、狙っていた本命の獲得で、満面の笑み。エサはマムシ。

キビレチヌは汽水域のスーパースターですものね。


こちらは岸際の泥を掘ってエサを探すやはり年配の常連氏。

数が少なくなったとおっしゃいます。小さい頃からのスタイルとか。

エサはまず自分で見つけてくること。羨ましい環境です。


エサのオケに入っていたのは鉄砲エビ。

地元では、パッチンと呼んでいました。指でつまむと長い前足を使って「パッチン」と軽いアクションと音を出すことからパッチンとか。

なかなかお目にかかれない、貴重な生き物のようです。


干潟を駆け回っていたワンちゃん。

でもちょっと人見知りで、おいでおいでをすると手前でブレーキをかけてターン。

「嬉しくて仕方ないんですけどね、はにかむんですよ」とは後ろの飼い主さん。

よーく、解ります。かわいいヤツ。ちょっと触りたかったけど、、、、、、。


こんな、のどかな河口の干潟ですが、いま大きな開発のうねりが問題になっています。

河と海の接点にあたるぎりぎりの干潟付近に、四国縦断道の橋脚が立つという現実。

コンクリートの巨大な橋脚と大きな橋がかかるということですね。

じつは、今回の徳島行きの理由のひとつがこの現況を見るためでした。

そんなことをやったら、どんなことが起きるのか?


櫓を組みあげての、ボーリング調査が始まっていました。

水の底の地質を調べている段階、、、とは看板には書かれていました。

文面通りに受け取れば、環境の変化を鑑みたうえでの下調べの施術であります。

岸側には、作業を見守る地元の方々が数名。心配そうな面持ちの男性も。

しかし、こうして「粛々と」施行者側の作業は進められているように見えました。

「粛々と」今年の流行語大賞だと思ってます(こんな早くからね)


そのボーリング調査のすぐ上流には、小舟がついていました。

入れてあった網をゆっくり引き上げていく漁師の方。

なにを獲っているのか? 網に入っている獲物とは?

 吉野川をめぐる、長い営みを想像させるこじんまりした漁に見えました。


河岸や干潟の岩盤には、みどりのビロード。

青い筋状の海苔の一種です。これを、朝の赤だし味噌汁に入れたらさぞかし、、、、、。


私がちこっと竿を出したのは、河口の先端部から河寄りに1㎞ぐらい。

頃合いを見計らって竿を仕舞い、上流域へ向かうことにしました。

今回の第2に行きたかった場所を目指してレンタカーを走らせます。

遡上すること14.5㎞。目的地は突然あらわれました。


第十の堰。だいじゅうのせき、と呼びます。

第十とは、10番目の堰ではなく、地名がだいじゅうなのです。

憧れていた土地に、遂に、辿り着くことができました。


流れの傾斜に佇む鳥たち。

ちょうどひとりのバードウォチャーの方が種類を説明してくれました。

白いサギは、大きさによって、ダイサギ、チュウサギ、コサギ。

灰色っぽいのは、アオサギ。

みんな遡上してくる小鮎を狙って立ち尽くしているのでした。

中には、流れの上方を眺めて立っているのもいます。

流れに諦めて戻った小鮎を狙っているんでしょうか。


サギたちに混じって、カラスの姿もありました。

賢いカラスは、コサギが獲った魚を横取りでもするんですかね。警戒しながらエサを探すコサギたちの行動が面白い。

見ていて飽きません。何時間でも見ていたい。感動のあまりに、、、、。

胸が熱くなり、目頭まで熱くなってくる光景でした。


上流の橋を渡って、第十の堰の反対側へ。

こちらは長靴で入っていくことができました。

ピンピンと、小鮎が遡っていく姿を発見。時折ゴリのような魚も跳ねていました。

見ていて飽きない、つくづく、胸おどる光景。


第十の堰は、江戸時代の人々が吉野川の治水と灌漑を目的に石で組み上げたもの。

近代になって、そこに補強を加えて今日のカタチになったということです。

流れの下側までが海に通じる汽水域。上側が淡水ということです。

ところが、この淡水側にブラックバスを放流した者がいた。それが大繁殖して大問題になっています。

とんでもないことであります。清流・吉野川。四国三郎に。なんてことを!!!

河岸に建てられた小屋は、そんな行為や釣っての再放流を取り締まる監視小屋。

日本全国の大問題には国の法律もようやく成立しつつありますが、

ああ、これまでの感動が、ついため息に変わってしまう。なんてことを!


痛めつけられてきた四国三郎・吉野川ですが、1990年代には、こんな試練もありました。

この第十の堰を、従来の固定堰から「可動式河口堰」にするという計画です。

いわゆる多目的ダム、坂東太郎・利根川や長良川に代表される「ギロチン」方式ですね。

諫早湾でも有名になりました。これには徳島市民が爆発。

21世紀になって、賛成か反対か、いよいよ住民決戦となり、市民投票により反対派が勝利をおさめてなんとか事態を免れたという経緯があります。

もし、あの時、「ギロチン」方式のダムが造られたら、その下流の汽水域、干潟は完全に消滅して、四国の名川、吉野川は完全終了したと言われています。

市民の方々が、目先の開発特需を捨てて、吉野川のかろうじての悠久恩恵を選択した。

そう思うだけで、流れを見ながら、ついつい、涙が出てきまして、、、、、、、、、。

しかし、その、一番先端の河口域の干潟に、今度は高速道路の巨大な橋脚。

さらなる厳しい試練にさらされることになった吉野川。

耐えきれるのか? 四国三郎よ。


帰りの飛行機の時間が迫り、後ろ髪の引かれる想い。

もうちょっと、居たい。ずっと居たい。それもままならず空港へ走る。

途上、国道ぞいで見つけた讃岐うどん店にて、ぶっかけうどんを食べる。

徳島といえば阿波、徳島といえばラーメン。この地ではマイノリティフードなのでしょうけれど、これがとってもおいしく、丼はあっという間にからっぽ。

また来よう、また来たい。こころに誓って、徳島阿波おどり空港へ急ぎました。

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