2019年3月31日日曜日

去りゆく三月を惜しみけり

あれよあれよと3月終わり、、、平成最後の三月の、最後の一週間を振り返り、、。


横浜に用事があり、朝イチより出かけた定休日。

近ごろでは珍しく淡々と都合よく物事が片付いて、まだ午前中でした。

折角ならばと、一度も行ったことのない三渓園を覗いてみることに。

いつも湾岸高速道から見える、崖と生い茂る松を横目で通り過ぎるだけでは、勿体ない!


果たして、横浜のどれだけを訪ねたことがあるか?

問われますと、フツーにフツーの、著名な観光地ばかりであります。

それも20代の頃、川崎市に住んでいたことでふらっと出かけていた程度、、、。

そのなかで、三渓園だけは入ったことがない。なぜだったのだろう?


おそらく、和のイメージを、横浜から感じなかったからではないか?

きっとそうだ、横浜らしからぬ、、、行かないでいいやと思っていたのだと。

横浜とは、文明開化であり、もっとも新しく、清新で、西洋的でといいますか。

なにも横浜で"和"を楽しむことなどなかるまいに、と思っていたのだと。


園内を歩きながら、横浜の持つイメージとのギャップをいま一度、確認。

なぜ来なかった理由があまりにも明快すぎて、感心するぐらいの立派な庭園でした。

つまり、三渓園は、そんじょそこらにはないぐらいな規模と様式美といいますか。

さあハレの日、和服を決めた新郎新婦の記念撮影の賑やかなこと!


サクラは8分咲き、小花たちもこれからの様子でした。

若い頃というのは、依怙地なもので、横浜らしくないを自分勝手に決めていた。

海のそばの、新しい町に、逆に僅かな時間のなかで、よこぞここまで見事な庭を。

そういう素直なココロで物事を見れば、ここなら何度来てもいいなになる。

三月も終わりに来て、灯台もと暗しではなりませんが、いいところを見つけました。


めぐらされた小さな流れ、池のなかも、ゆったりした時間が流れているような。

シラサギやアオサギが、エサの捕獲に集中しています。

かなり近づいても気にせず、人を恐れない、素晴らしいじゃないの。

つまり、大きな鳥たちを信用させる空間が三渓園にはあるようでした。

 

明治期、生糸の貿易で巨万の冨を得た人物によって築かれた園内。

岐阜の合掌造りを移築したり、三重の塔を建立させたりと豪壮な建築物たち。

おそらくは、横浜を訪れた西洋人たちに、日本を見せる意図もあったかもしれません。

まるで、江戸期までの庭園、建築物をこれでもかと配列したかのようです。


これは、関東大震災で崩壊した建物をそのままのカタチで残した遺構。

崖上だった園内一帯は津波こそ免れたものの、建築物の倒壊は甚大だった。

震災は1923年ですから、もうすぐ100年ということになります。


その高台から見下ろした園内と横浜の本牧方向。

ゆっくり巡れば、少なくとも半日は費やす規模と展示建物の数でした。


池の錦鯉にエサをあげようと、麩を売るお店にいた看板娘が気になってしまい。

クロネコの看板のあるお店の看板娘が三毛猫だよというネタなのですけどね。

だからどうした、、、三毛猫女子は、ツメ研ぎしたり、伸びしたり。平和だ。


で、その麩をあげたら、狂喜乱舞する三渓園の錦鯉たち。

だからどうした、、、いえ、こういう平和で素敵な春の大気のなか。

過ぎていく三月の候を、惜しみつつ、もう四月かと。

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一方その頃、横須賀うみかぜ公園では、、、。


黒ヒツジ、ジュンさん、アサリちゃんが、久方ぶりの定例会を催しておりまして、、。

唯一、本命が風に舞っているジュンさん、黄砂が目に入って開けられませんの図。


黒ヒツジに掛かった比較的いい型のシロギス。

以外は、連発するグーフ殿の顔ばかりを眺めておったという情報いただきました。

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三渓園からの続き、、、三渓園を出まして、遅い昼食をいただこうと中華街へ。


横浜中華街には、10年ぶりぐらいでした。

春休みとあって、若い女子力、中学生や高校生、大学生たちが多かった!

私なりのお店選びのセオリー、小さくて、そこそこ古くて、常連風が多い店へ。

これは、10年たっても変わらず、納得、三月のラストを締めてくれました。

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