2015年2月20日金曜日

南国土佐にむかってみたが、、、さすが高知

関東は連日の季節風。
暖かい土地を目指して西南へと進路をとってみたのですが、、、、、、、、、、、、。


羽田から機首をあげたB767-300はすぐに右へと急旋回。
いままで居たターミナルが眼下に見えて、航空機の凄まじいパワーを実感するところ。

快晴の東京上空からは、はやくも富士山が見えてきたりしてました。


高知空港からレンタカーで約30分。桂浜。

看板には、月と竜馬の桂浜。高知近郊の有名な観光地ですが、目もくれずさらに西へ。


第1投は、仁淀川の河口なのでした。

とはいうものの、ナニかを釣ろうという意気込みはでないのです。いまの季節ですから、さすが仁淀川でも魚たちの活動は難しい。本音を言えばナニがが触って欲しいのですが、仕掛けにエサをつけて入れてみてるだけで満足なような、、、、。

贅沢な時間です、つくづく。



水質日本一になったこともある仁淀川。

高知市民のこころの拠り所でもある大河川。河口は想像どおり雄大でした。

竿先はピクリともしませんが、仕掛けをサビいているだけで幸せな景観。


驚いたのは前方の対岸。大木が川面に突き刺さっているのか?

いえ、その大木が動いているでありませんか! 目を凝らしているうちに判別。

釣り人でした。2月の川に立ち込んでいる。背後にはその彼の逗留しているとおぼしきテントやクルマたち。近づいてきた初老の方が教えてくれました。

「40人ぐらいいるかなあ、夕方になるとみんな出てくるよ。アカメを狙っているんだ」

アカメ=レッドアイ=日本にいるパーチ族ですね。四万十川も有名ですが、さすが高知。

「ずっと暮らしている人も居るよ。みんな取り憑かれているんだ。若い人もいるよ」

その初老の方も、クルマには生活道具一式と数本のルアーロッド。

さすが高知、なにもかもが違う。クルマに棲んで、釣りを続けている!!!


驚いた景色その2。

仁淀川と太平洋とが接続する付近には、ブルーシートのテント群がびっしりと並ぶ。

ちょっと異様な光景、、、、これも釣り人の簡易施設か?


竿を畳んで近づいてみたら、、、、、、、。

犬の散歩をしている人から「シラスウナギ」を獲る職漁者のテントと教えられました。

簡易宿泊用および選別小屋、および資材置き場なのだとか。夜になると遡上してくるシラスウナギを掬う人たちで、河口はヤッチャ場状態になるとか。

まさしく夜茶場。

その光景を見たい気持ちもありましたが、今回はいつもに増しての強行軍。転進。


高知市街に近い、浦戸湾の湾口部まで戻る。

桂浜と対岸の種崎海岸にかかる浦戸大橋は、修復作業中でした。


静かな湾になかでは、ウキ釣りを楽しむ方々。

この季節ですから、寒グレ、寒チヌでしょうか。市民の身近な釣り場。


種崎海岸では、カップルが竿を出していました。

スマートフォンでお互いを撮りっこ。いい光景だ。さすが高知。


そのお隣、すこしあいだを空けて投げてみる。湾口部は小さな海峡のよう。

しばらくして、痛烈なアタリがあったのです!!!! やった!と思ったのですが、、。
結果はカラ仕掛けを引っ張ることに。残念。ここで日没。

今度は高知市街から一気に東へ走ります。真っ暗になった路を東へ東へ。

室戸岬手前の田野町の道の駅に草枕を決め込む。


道の駅から奈半利川を渡って奈半利町の飲食店にて、クジラのたたきをいただく。

前回の平戸島に続いて鯨づいてます。銘酒・酔鯨の土地ですからね。

ひとつ感じたことは、「たたき」として食べる文化は、ご当地のカツオとクジラは、ほぼ同時進行として今日まで続いてきたのでは、と。

クジラの獣肉感が、強い酸味の効いたタレのおかげで、じつにまろやかで、おいしく。


カキフライを頼んだところ、ポテト、タルタルソースに加えてケチャップ。

牡蛎は大きく、あしらいも豪快。さすが高知。と、ついつい酒精も増えていき。

ほうほうの体で、草枕を結ぶ道の駅へと戻った次第なのでした。


コケコッコーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!

目覚めた道の駅「田野駅屋」は、国道と鉄道が共通で使用。
1両のジーゼルカーが発着していき、母屋は地域の集会場の趣き。

地元の年配の方々が、朝早くから、野菜や柑橘類、干した魚などを持ち寄っていました。

なんて素敵な道の駅。ツーリング中らしいライダーもシュラフで仮眠していました。


田野町は「維新の街」宣言をしていました。近在からは、中岡慎太郎を輩出した土地。

竜馬とともに命を落とした陸援隊の棟梁。既存の膠着状態に、熱いテーゼで挑みたい。

この道の駅には、そんな地域の方々の想いが集積しているようでした。


仁淀川と並んで目的地のひとつだった、奈半利川の河口。

ただ残念なことに、河口付近は河川改修工事のまっただなか。

とりあえず、竿を出そうと河口に築かれた堤防を目指します。


荒く組まれた波消しブロック。その上はまことに歩きにくいものですが、
地元の有志(釣り人でしょう)の方が木材で足場を作って木道のようになっている。

さすが高知。その、釣りへの熱へというものまで伝わってきます。


堤防の突端部より投げる。朝陽を浴びてツヤツヤと輝く太平洋。

正面前方が、室戸岬の方向。風はありますが、寒く感じることはなく、さすが高知。

南国・土佐、黒潮の海流を感じながら、仕掛けをサビきます。しかし、アタリといえば、
なにもなく、ひたすらなく、触ることもなく、エサはそのまま戻り、またエサをつけかえてもアタリは一向になく、時間だけが刻々と過ぎて。

でも、とてもとても、贅沢な時間、、、、、、、、、。



堤防の傍らに作られていたマイ釣り座?

壁面に座席をつり下げて、出来るだけ水面に近づいて釣り(もしくは漁?)をするためのモノのようですが、一体ナニを獲るのに使うのか?

気になる、とても気になるマイ釣り座。

帰りの時間も気になりだして、高知空港方向へ戻ることにしました。


国道55号線ぞい、見つけてしまった峠そば。速攻、ウインカーを出してしまう。

高知でもそば。看板娘とおぼしきメス猫が、ごろにゃん横倒しで迎えてくれる。


峠そばは、普通の「かけ」の様相に見えました。

普通でないのは、薬味に柑橘系が刻まれていること。さすが高知らしい!

ツユはあっさり風、麺にはもちもち感あり。何度かいただいた西国の蕎麦の印象でした。


帰り道、安芸という地名にピンときて立ち寄る。安芸キャンプ。阪神タイガースですね。

しかし最近は、1軍は沖縄へ行ってしまい、少々寂しい観客とか。

港は、高潮、津波対策の高い壁で、海がなかなか見えまへん!!!!


高台から眺めおろした海岸線。

山々、川、わずかな扇状地、そして海。高知らしいなあ、と感じた風景。

ずっと眺めていても飽きのこない、つくづく、贅沢な時間。 夏はいいだろうなあ。


帰りの飛行機まで、ちょっと時間があるので、もう1投を。

「手結」と書いて、てい、と呼ぶ港のなか。クルマ横付けが可能。私向き。


しかし、、、、またいつもの、しかし、、、、、、。

午後に入った土佐湾は、西のほうから強風が吹き込んでくる。ちょうど向かい風。

いくら南国でも、山をかすめて吹き下ろす風はまことに冷たく、カッパを着ることに。


耐えてみたかいありか? 昨日以来の鮮烈なアタリ。忘れかけていたアタリ。

巻いてみましたら、この方。おおおおお、また、いつもの。また、いつもの。

南国土佐まで参りまして、唯一の魚お顔を拝見した、またいつもの。フク来たるか?


手結の港には、なんじゃこれは?という光景も待っていました。

突然、一般道路が逆立ちしているではありませんか! 直下の崖のごとく。

可動橋、とても有名らしいです。頻繁に上げ下げされるもので、踏切つき。

踏切がなかったら、大変なコトになるでしょうね。



空港までのラストラン、ちょっと山側へ冒険。

海から僅かな平地、そして、いきなり急峻な山岳となる。さすが高知。バリエーション豊かなレイアウトを誇っています。棚の田畑ばかりで、農業先人の方々の苦労が偲ばれる。

道端に、灯籠を模したらしい石のモニュメント。四国・中国の農業地帯でたまにみかけるもの。権力者の力を示す意味があったものだとか。

確かに、人力でこれを作るのは大変!!!!!!


棚の田畑はすべて緻密な石組みで段々の状態。その、いちばん上には立派な家屋。

たまたま分け入った一帯には、お殿様のような旧家が点在していました。

さすが高知。関東地方にはない、切り開かれた時代の厚みが伝わります。


メインの帰り道へ戻り、道の駅でつい買ってしまったお鮨。

巻物、稲荷、バッテラ、寒天羊羹、、、、鮮やかな色彩が特徴。

これは、つまり、高知のお鮨。皿鉢料理なのですね。みんなでワイワイやる時の。

子どももオトナも大好きなお鮨。昨夜のカキフライもそうですが、派手にいく、豪快に食べる、そして飲む。

短い時間でしたが、ダイジェストで高知を巡った冬の贅沢なひととき。でした。



<宣伝>『投げ釣り列島縦断』(メディアボーイ刊 税込み1700円)03-3576-4051
◎全国有名釣具店、書店で発売中。検索「投げ釣り列島縦断」


2015年2月1日日曜日

なぜか、平戸島 


雲の上へ出るといつも晴れている。
西日を浴びた雲の絨毯、機体は西へ西へと進んでいくので、
ずっと太陽を追いかけていく感じ。仕事を終えて飛び乗った787型機は、
このあと高度をさげるほど揺れて揺られての大村飛行場。

夕刻の長崎は今日も雨、東京も雨、変わらずの雨。
厚い雲に覆われての日没、私には東西南北すら解らなかったのでした。


でもね、レディゴー!!!なのです。ありのまま、行く所へ行く。

突然、平戸島(長崎県平戸市)へ行くことなったのは、ヒツジ=釣り執事の突飛な提案。
これには伏線があり2012年夏に池袋で一緒に見た高倉健さんの映画「あなたへ」

健さんが、亡くなった奥さん(田中裕子さん扮する)の故郷を訪ねて勤務する富山の刑務所から平戸島まで改造ワゴンで旅するわけですが、その終着が平戸島の薄香という漁村。そして、その健さん御本人も昨冬に、、、、、。

見ていたヒツジが館内で「なつかしか〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」を連発、連呼。池袋名物の、困ったお客になったワケですが、なんでも高校3年の秋、友だちと平戸島までやってきて、この薄香で釣りをしたとのことです。

ヒツジは、長崎市の高校に通っていた関係もあって、県内は島嶼部に至るまで、半分ジモティのように超がつくほど詳しいのです。同級に市内だけでなく、島原、諫早、大村、佐世保、五島や壱岐の人などが居ます。「なつかしか〜〜〜〜〜〜〜」が「行ってみんね」になって、こうして、魚も居ない、寒い季節に出かけることと相成ったのでした。

↑写真は、本土側と平戸島をつなぐ平戸大橋。着いた時は真っ暗だったので、翌日の帰り際に本土側から撮りました。この真下(田平といいます)も潮が激しく効いていてとてもよいポイントだとか。


さっそく、平戸島の市街地を散策。雨が石畳の床を濡らします。21時をとっくに回っているにかかわらず、スナックを中心とした飲食店は絶好調。ただ、一見のお客にはビビリ。

車中泊(コンビニ泊)を決め込んだところで、そんな飲食街を徘徊。まずは、なにかを食べましょう。「平戸もかわったっちゃねえ」とは、久方ぶりに訪れたヒツジの弁。


↑いきなり、クジラの三品盛り。左より、赤身、白身(尾の身)、さえずり。

平戸島は、隣接する生月島に代表される捕鯨の街。以前、ヒツジと長崎市内の丸山繁華街にて、ヒツジの先輩がこれを盛った卓袱を頼んでくれた時を思い起こす。

いづれも、ルイベ状でしたが口のなかで溶け出す独特な脂分と、噛み心地。よし!!!


九州の西部と南部は、水イカのふるさと。ふとか水イカ。

東京でいう「アオリイカ」ですね。巣のようになっているそう。すごかです。

松イカ(スルメイカ)もすごからしいのですが、とにかく、この水イカ。

ちなみに入ったお店は『さなぼり』という屋号でした。なんでも兵庫県北部の方言で田植えを終えたあとの宴会や、寸時のヒマを言うのだとか。

本土と地続き西の最果てまで来ても、兵庫県北部(但馬地方)の方言が流通している。ヒツジが言うには、「よか、よか、よかと、これが東風ふかば、、、たい」なんだそうです。関東人、海なし県育ちの私には、意味がいっちょも解りませんわ。


ヒツジいちばんの萌えは、ヒラス、平政の刺身。

ブリ三族の最高峰なのだとヒツジ。ヒツジの生まれは石川県金沢市なのですが、ご当地といえばブリ。ブリブリ。きときとの鰤。なのですが、ブリよりもカンパチよりも、やはり平政なのだそうですよ。ヒラスがいちばんおいしか、らしい。

長崎県民の、本当に好いとうのは、クロ(尾長グレ)とヒラス(平政)そしてキスゴ。

ま、そんな呑み話にも飽きたところ(いつも聞かされているため)で、お店を出ました。


ここで、シメとならないのが、私らの悪い(素敵?)なところ。
「さなぼり」を出た左約50mに、斯様なお店を発見。

表向きはチャンポン、あごだし、ところが暖簾には、手打ちそば。えええーーーーっ。

西九州で、蕎麦ですか、ソバですね。ヒツジによれば、九州での蕎麦は、かしわうどんと並んでの必食吟味の挑戦系。ここは本能の赴くまま、暖簾をくぐってしまう。


お店は、ラストオーダーが25時。素敵でした。地元の、青年商工会とおぼしき方々の、それこそ「巣」となっておりました。鍋に、チャンポンの麺を入れての囲み鍋で泥酔状態。

私らは、まず、チャンポンをいきました。よかね。おいしか。正直にいえば、、、、。

野菜タンメン風。でも、ヒツジが言うには、これも、チャンポンなのだそうです。

長崎は、家庭、お店によって、独自のチャンポンがあり、どれもがチャンポン。なんでんかんでんを、一切すべてごちゃ混ぜにしながらこだわりの風味を大切にする。母の味。

沖縄のチャンプルー、と意味合いが似ているとのことであります。


そして、懸案の蕎麦。かけそばを注文しました。ここで問題が発覚。

本来、手打ちそばを掲げていた同店ですが、ご主人が腰痛で蕎麦を打てなくなったとか。

そこで致し方なく、既成で使われている麺となったとのことでした。

出汁はあごベース、はんなりと塩味と醤油の透明なツユ。カマボコ、チクワ、おぼろ昆布、万能ネギが載せられる。新鮮な食感でした。クリアな味。

おそらく、、、ですが、チャンポン、ラーメンが主軸のご当地で蕎麦は、おそらく、珍しい麺食として捉えられているようです。蕎麦は高級品かも?

毎日、宗田ガツオ節とサバ節のブレンドによる真っ黒な「江戸出汁」に慣らされた舌には、よくいえば上品、悪くいえば、モノ足りない、そんな蕎麦でのシメになる。

このあと、レンタカーに戻って(どうやって戻ったのか?)シートを倒して爆睡たい。


コケコッコーーーーーーーーーーーーっ!!!

目覚めると波止場。先に目の覚めたヒツジがクルマを水際に着けていました。

中央の山上に見えるのが平戸城。なるほど、平戸は城下町なのですね。

平戸島といえば、16世紀から17世紀、オランダやイギリスとの交易の始発点。

という印象でしたが、れっきとした城下町。だからこそ、様々な歴史事情が交錯して。


「むかしは、とても渋いターミナルビルだけだったけど、、、、」とヒツジの弁。

平戸島の波止場は奇麗に整備されていました。時代は変わっております。


様々な歴史事情が交錯するなかで、それを象徴する天主堂。一部工事中。

聖ザビエル記念教会。体制側の指針変更で、ローマカトリックは禁教、改宗、弾圧。

隠れ切支丹の長い時代を経て、明治に入ってふたたびローマとの関係が復活して、この長崎県全域、そして全国へと布教されてきたわけですが、、、、。


教会から見下ろせば、大きなお寺と墓地。つまりは、カトリック教会と仏教寺院が重なりあう光景。それは長崎市内の寺町と同様に、西洋の信仰と東洋の信仰の交差点。

この光景が、当時17歳だったヒツジには、衝撃的だった模様。いま観光名所であります。

ただ私は、はやく竿を出したい。天気も不安定なので、早く竿を出したい!


向かった先は、生月島。橋がかかって、真下は海峡筋になっていました。

昨夜いただいたクジラの本拠地であり、また隠れ切支丹の島として有名なのですけども、

まずは渡らないとはじまらない。


捕鯨時代の黎明から全盛期にかけて、生月島のクジラ狩猟衆は、最大最強を誇ったとか。

日本には、数々の捕鯨基地がありますが、まったくもって肩身の狭い時代になったものであります。小学校の給食でよく出てきた鯨カツ。

猛烈に食べたくなってきました。歯にスジの入るあの感触が懐かしい。


生月港には、先客が2名。雨が降ったり止んだり、強烈な風のもと、それでも先客。

手前は、ウキ釣り師、白灯台の先端にはエギ師。こうしてはいられません。


生月大橋の真下から平戸島へ向けてキャスト。潮はごうごうと川のように流れています。

一帯は、東シナ海から対馬海峡、玄界灘、日本海に向かう、コーナーのような地点。

すごい潮が白波をたてて流れています。


アタリはまったく解らない。

オモリはツツツーーっと真横へ押し流されていくもので、あれれれれーーーという感じ。

しかし、ヒツジ曰く、こういう場所のほうが潮はつねに新鮮で魚は萌えるそう。

とくに、厳寒期は、「淀み」より「流れ」を釣ったほうが、元気な魚に出会う可能性が高いとヒツジは言うのですが、とにかくせわしなくて私は、、、、どうにも。いやだ。


重い重いと巻いてきた。寒くても元気だった魚その1

ベラでした。長崎では、クサブ、クサビと呼んで、なかなかの人気魚とか。

私も塩焼き、油で揚げてからの三杯酢が好きです。


重い重いと巻いてきた。寒くても元気だった魚その2

ベラでした。疑似色が赤茶けているのは、藻や岩根のためでしょうか。

先ほどの緑っぽいのは、砂地に模しているのかな?


橋の下はあまりの激流。

少し右によったところに足場のよい堤防があり、移動。投げます。

潮流も速度がいささか緩和されていて、若干、釣りやすくはなりました。


それでもアタリは解らない。重い重いと巻いてくれば、ベラふたたび。

このあともベラみたび、4尾、5尾。どんなに寒くてもベラは元気。

ここで場所を大幅に変えてみることに。なお釣れたベラ(生月島産)はすべて持ち帰り、
いつかの機会に調理して載せます。


生月島から平戸島へ戻り、島内を走る。険しい山々と入り江の続く海岸線。

長崎県は、島嶼部を含めて大多数がそんな地形ですが、小さな河川の注ぐ場所は棚田。

麦、お米、作物、そのほとんどが棚田。半農半漁の集落が続きます。

先人の苦労が偲ばれる、数々の棚田の光景にふとクルマを止めて、、、、、。


集落と棚田の撮影に没頭するヒツジ。

ヒツジの通っていた高校では頻繁に「奉仕実習」があり、棚田の田植えに苦い思い出が。

農家の方のすすめてくれたビール(ご当地はビールはお茶がわり、お酒は水がわりとか)
を飲めもしないのに(当時)飲んでしまって轟沈。それはまわりの仲間たち、とくに下級生たちが感謝しながら嬉しそうに飲んでいたため、見栄を張って飲んでしまい気絶。

棚田の傾斜に大量のソソウを吐瀉して、その後もまったく使い物にならなくてほうほうの体で搬送されて帰ってきたという、苦い、苦すぎる思い出。私だったら、気付け薬を嗅いだようで、目一杯はりきると思うのです。ハイオク満タンですぜ。

シャッターを切りながら、遠い日のやるせかたない記憶を反芻しているのか、ヒツジ。


ここで書かれる、獅子とは、イノシシのことらしい。たくさん居るそうです。

四カ国語で書かれた標識に、国際色の豊かな平戸島。最近、都会の案内にも四カ国表示は増えてきました。

日本人って、つくづく、サービス精神の旺盛な、と感心する私です。


島内の中央部、小高い丘に建てられた紐差教会を訪れる。

ロマネスク風の建築が、集落を見下ろせる位置に建てられていました。


聖堂内は、ステンドグラスの美しさで有名。

これら教会群が「世界遺産」の認定登録で、地元では盛り上がっているとのことです。


紐差教会から見た、集落、入り江のたたづまい。

夏の光景を想像して、ヒツジはいろいろとメモしてました。


島内をさらに南西に向かい、前津吉という港で投げる。

佐世保とをつなげる汽船の着き場、そこそこ水深もあって期待が持てたのでした。


港の外では、台船、サルベージ船までが集まっての作業中。

海底の植林をしているようでした。藻場要る!!!! 漁業大国の長崎県。

つまりは、大掛かりなメンテナンスも必要なようです。


前津吉では、ハリス切れが連続。なんの前触れもなくハリスだけ切れて戻ってくる。

前日の大量の雨で、海水が薄まってオカシナ色になってしまっている。

真水に強い、フグだけが元気になっているのでは?とヒツジ。


進路をさらに南西にとり、島内南西端に近い志々伎(しじき)湾で投げる。

港のなかへも投げ入れてみる。しかし、こちらはフグすら気配がありません。

季節風が吹き込んできて、キツか、くるしか、耐えて忍び、耐えて忍び。

九州の端まで来ても、東京湾といっちょも変わらん現実を体感するとです。


山側の林道へ分け入ると、よく見かけたのが獣を獲るワナの数々。

タヌキやイノシシが多いそうです。僅かな田畑での被害は深刻。

まわりの雨に濡れてツヤツヤ輝くツワブキの葉が、西九州らしさを象徴。


帰りの時間が迫り、市街地側へとってかえした途中で見つけた集落。

棚田、河口、家々、入り江、そして天主堂(教会)

素朴な漁村のなかに西洋の御堂のある光景は、西九州ならではかもしれません。


その入り江の突端にある漁港の堤防。なんと、投げ釣り師を発見。

ついに、真冬の平戸島にも、同胞の姿の発見に気色ばむヒツジ。釣果を聞きたい。

越冬キスゴ。キスゴですか? 

ところがこの時、強まる風と落ちてくる雨。あの先端まで、歩いていく気合いがうせて。

帰ってきてから、あの時のヘタレ具合をひたすら反省しているヒツジ。



河口、入り江、干潟、立ち上る山々。

おおきなキスゴを育む条件を、つねに調べているヒツジが目を留めた場所。

夏に、泳いだり、潜りながら、竿を出してみたいそうです。


平戸島には、比較的おおきな砂浜もありました。千里が浜。

ただ、周囲には公園整備などが進み、ちょっぴり人工的なイメージも。


車中泊でのトンボ帰り。フィナーレは、冒頭、健さんの映画の目的地となった薄香湾。

ヒツジ曰く、17歳の時の風景とあまり変わっていない気がするとか。

帰り道を急がせるように、空はさらに重くなり、雨が降ってきました。


記帳、、、汽船の待合所を利用したスペースに、地元有志によるメモリアルスペース。

健さん、ひとしく遺作となった大滝秀治さん。シーンを反芻しながら、万感の想い。

↓<宣伝>『投げ釣り列島縦断』(メディアボーイ刊 税込み1700円)↓
全国有名釣具店、書店で発売中。問い合わせ電話03-3576-4051