2021年8月24日火曜日

小川町の女郎うなぎ福助に父を連れ出す

 うなぎ好きの父。秩父からちょうど良い距離の小川町へ、雨雲抜けた晴天と太陽の顔


父が大船渡から秩父に戻ってもうすぐ2ヶ月。姉妹で代わる代わる訪ねては、お世話になっている秩父のご近所やヘルパーの皆様と調整を計って過ごしてきた次第。そろそろ慣れてきたかなと盆明けの頃合い見計らい、父の好物でもあるうなぎでもと誘い出した次第であります。


今年のお盆は雨に次ぐ雨、これでもかと容赦のない土砂降りの連続で厚い雨雲には辟易。
でも孝行の一つでも的な殊勝な気持ちが奏功したか久しぶりに雲の切れ目から光が、、、、

父の家の前の山栗がすこしづつ膨らんできているのに気がつき、いつ頃が食べ頃か、、、
こと味覚のことだけは好奇心とやる気が出てくる私、父は栗、胡桃が好物でもあるし、、


山栗の横にはコナラ。風雨で落とされたドングリの実が二つ三つ四つ、、
水を入れた皿にドングリを飾り、戸締りして出発。山越えの道、定峰峠を昇って行くと、
「通行止め」の看板。あらま。がけ崩れの復旧工事が終わっておらず、迂回ください。

致し方なく、国道140号線、寄居の市街地を経由して、国道254号線の常套のコースにて。
強い日差しで、助手席の父もいささか熱中気味だったか、後になって思えば、、、


女郎うなぎ福助。和紙の街・おがわを代表する老舗、旅館が始めたうなぎの由来は江戸の末期。縁あって小川に来た吉原の花魁が伝授した美味いうなぎ蒲焼の手法を今に伝えるゆえ。

ところが、予約したものの昨今の騒動で入店を待たされ若干の立ち往生。これが父には響いたのではないかと後々思ったけれど、まずは1階のテーブル席に通されてひと安心。足腰の弱っている父に座敷と座布団では、折角の美味しいうなぎを存分に味わってもらえぬゆえ。


館内、廊下には湧水泉の小さな河川が設えられて、水に浸かったザル籠には生きたうなぎが泳ぐ。注文を受けたらここからうなぎを取り出し調理に取り掛かる算段である。流れにかかる赤い小橋が江戸の情緒を伝えるかどうかは受け止める人次第だろうか。


通された部屋は旅籠時代そのままに机と座椅子を持ち込んだ普請。縁側の先には石まで置いた小さな庭があり、ガラス貼りの浴室が見えたりと旅館なのか昭和の時代の旅荘の名残なのか。

父とノンアルビールをグビリグビリ、近況など語り合うもここまでの迂回路もあってか、父はややお疲れ気味で、なるほど、移動の方策にも今後はもう少し工夫が必要ありかなと。


旅館の風情は上座の床の間にも。覆いのかけられた小さな化粧台がこの部屋の歴史を物語る
うなぎを待つ間の会話を、ゆっくり首振りながら聞いているような扇風機の音だ。


うな重、肝吸い、香の物、デザートのセット。
ご飯の盛りも深すぎることなくツユの量も絶妙で、さすが名代の多い吉原のうなぎ蒲焼の技量を継承してきた小川の名店。父は肝吸いをいただき蒲焼きは土産にして後日の愉しみに。


父を家へ送り、入道雲のかかった武甲山を望む。近くに蝉時雨、梅雨が明けたような陽気。
連続した台風、温帯低気圧がもたらせた大雨が抜けたら、どうなるのだろう9月は? ナニが起きてもオカシクない昨今に、無事と平和を願って手を合わせる武甲山。