2019年5月19日日曜日

広島の釣りを、ご案内いただきました!

仕事を午前中で上がり、新幹線で4時間。人は西へ走るほど、こころが軽くなる? はず?


そう思ってたのですが、道中いささか緊張気味だった私。

というのも広島駅で、初対面の方とお会いしてのち会食の予定なのでした。

まず新幹線出口で、先に広島入りしていたヒツジ(釣り執事)と合流、そして。

広島市在住の小池勝さんと落ち合ったくだりより、はじまり、はじまり〜〜


暑い、熱いです、広島は、夕刻の雑踏を、赤いユニフォームの方々と並び歩く。

お会いした小池さんのご案内のもと、目指すのは『源蔵本店』というお店。

なんでも、朝飲みオッケー、といっても、もう18時ですから、健全な行動です私たち。

赤服軍団はスタジアムへ、私たちはやや右寄りへと分岐していきまして、、、。


予め、絵に描いていたヒツジから聞いた↑小池勝さんのイメージ、、、想像図。

投げ釣り歴50年、愛犬家、カープの聖地でひとり気を吐くトラ党、筋道を通す。熱血。

18で広島を飛び出し神戸でバーテンに就く、舞い戻ってビール工場に勤めた20代。

まるで浜田省吾さんの唄に出てきそうな、エネルギッシュ無頼風の青春像の延長線、、


で、すでにおおいに盛り上がっている『源蔵』に割って入れていただき、乾杯! 

一杯いただきましたところで、ひと息つき。小池さん、イメージが違うではないですか!

気さくで、やさしい、面白い、、、ごめんなさい、真実の絵画は↓後半に描きました。

お店も、ざっくばらん、うまし! 駅前食堂の活気と狂騒、サイコーでございました。


コケコッコォォォーーーーーーーーーッっっ!!!

やってしまった感いっぱいの朝、前夜は解かれた緊張ゆえの前後不覚、申し訳ない朝。

びびり、おそるおそる窓の外を見ると山、牛田山と言うそう。広島駅の北側。

しかし、広島も訪れるたびに、高い建物が増えてきているような、、、。


小池さん、昨夜、悪い印象でなかったかしら、、、? 呑んだ翌朝の常套、猛省、、

お迎えに来ていただいた小池さんは、ケロっとされていて、ヨカッタ。オトナ、、だ。

助手席にお邪魔、後部シートのヒツジとともに、レッツゴーfishingなのでした。

行き先は、こちらから敢えてお願いした"広島らしい"瀬戸内海情緒いっぱいの場所。


小池さん行きつけのお店でエサを購入、えっ、石ゴカイ(ジャリメ)だけですか?

ヒツジが慌てて青虫(アオイソメ)追加を願い出る。私が不器用なもので、青虫がいい。

ちなみに、お店は気持ちのいい海辺に建てられており、ここでソク釣りができそう、、。

その海辺風景も、帰りに出てきます。


目指したのは、広島湾に浮かぶ江田島。

フェリーを待つあいだ、ふたり、なにをしてるかと申しますと。

鉄ヲタクのヒツジのリクエスト「呉線の電車の通過が見たい!」の付き合い。

始まったぞ、、、そういえば、昨夜の広島駅で「瑞風」を見たと騒いでいた。


呉線の跨線橋から眺める江田島、手前に横たわる瀬戸と行き交うフェリーの姿。

瀬戸内海の朝風が気持ちよく、広島市街のほんの庭先に、こんな素敵な場所が。


数分間のフェリーで渡ったのち、江田島のだいたいの輪郭を把握、、難しい。

江田島へは現在、橋も架かっていますが、各所からのフェリーも健在。

複雑な地形の島は、そのまま自然の要害としての役目を持ち、積み重なった歴史の数々。


そのひとつ、かつての海軍兵学校。現在、海上自衛隊の中枢的な術科学校に。

まわりの商店、家々も、海軍の街の名残があって、どこか横須賀の路地裏を見るよう。

あ、横須賀といえば、黒ヒツジとおされヒツジ、今日はうみかぜ公園かな?

なあんて、思ってもみない、、いえ、ちょっとは思い出す、軍港の風景かな。それが旅。


最初の竿だしは、堤防から。私、正直に、防波堤が好きなのですとリクエスト。

なら手始めは高くはない足場、投げやすい、取り込みやすい。と、、、さらに。

「マコ様のために頭の電線を取り払っておきました」と仰る小池さん。やるね。

直後、先客の残したらしいゴミをしっかり拾って用意した袋に入れてました。さすが。

 

加えてちょっと嬉しそうなのは、また違うゴミを拾ったところ1000円も拾ったから。

釣り場に落ちているのは、不要品だけではないことを証明してみせた大ベテランの笑み。

エンタメ性溢れるナイスミドルを、投げ釣りのエスコート役にしてしまった、、、。

でも、小池さんを、あまり持ち上げると、照れて無口に。自称「隠れ人見知り」


釣って、書く、撮る、撮られる、語る、、子どもたちに釣りを教える、、、、。

投げ釣りクラブ活動、新聞、雑誌、テレビ、釣り教室、講演、メーカーテスター、

お忙氏を示す小池さんのクーラー。

すべて、広島の投げ釣りを広島の先輩から受け継いできた人国記かも、と、ヒツジ。


釣り場を、ちいさな港の、さらに港内に移動。養殖牡蠣の水揚げ場、加工場とか。

牡蠣剥きによって出てくる、水分や身切れ部分が港内に流されます。

海のミルクとも呼ばれる牡蠣ですから、それを魚たちは見逃しませんね。

小池さんの好きな、秘密の園、、、秘密でもない、、、とっておきポイントのひとつ。


港内に置かれた牡蠣の稚種をつける養殖棚の垣群、、ホタテガイの殻を使うのですね。

これを、決めた場所に吊るしておくことで始まる、牡蠣のはじまり、奥が深いのです。


ポイント、明解、明確に、いいアタリ、、ありゃっ、ギザミかあっと、小池さん。

でも、私、自称ベラの女王としましては、青さま、好きでございます。体格、よしっ!


ブルっときた、ゾクっときました、しかし呑まれてました、、でも、うれしか!

牡蠣に育てられているらしいこの顔を見ることができて、高揚、and安堵。


小池さんにきたブルっ、は、グっと大きかった。ボディの白い部分に赤みがかかる。

とりあえず、本命のブルル様たちの御顔を拝見したことで、納得、次に、移動しました。


もうこれ以上、申し上げようのない瀬戸内海のなぎさに来ました。

砂の色、水の色、、、深さが変わるに従い、蒼いが濃くなっていくような。

つまり、これは、投げなさい、ここに投げんさいと、いざなっているような?

勝手な想像ばかりがふくらむ、もうこれ以上、申し上げようのないなぎさ。


こんな場所が、政令都市のすぐ先にあるという広島市。

東京だと、内房、、三浦ぐらいかな、なんて、比べることではないのですが、、、。

釣りには、少々早かったのか、藻が掛かってくるのを外しながら淡々と。

夏になったら、、シュノーケルで、泳ぐキスの群れを見てみたい。


物心がついた頃から水で遊ぶ。

父親の持っていた和船での船遊びも忘れられないと話す小池さん。

発見の感動、よろこびを、子どもたちに伝えたい、より多くの人へ。

小池さんの物静かな釣りの姿から、ジワジワと感じてまいりまして、、、。


途中、小池さんのお知り合いが見えて、ちょっぴり賑やかにもなり。

それでも、まるで夢でも見ているような気分で時間が過ぎてゆき、気がつくとお昼。

次ぎにゆくか、、、それとも、、、どうしよう、、、迷ってしまう、とりあえず。


近くの、うどん屋さんへ。肉うどん、and ちらし寿司。

しっかり出汁の効いたうどんに、甘いシャリ、錦糸卵は合いますね。うまし!

ここに住んだら一気に体重が増えそう、、、おこのみやきもありますし、、、。

と、お昼をただいたところで、少し早いですが、市内へ戻ることに。


帰りはフェリーを使わずに、橋を渡るドライブコースをとってくれた小池さん。

せっかくですからと、帰りながらビューポイント経由になった次第であります。

急潮で有名な音戸の瀬戸にて、左右の指差し確認を、、、海の銀座ですからね。

安全を確かめて、渡ろうという、、、ほんと、渡し船が現役でした。



瀬戸に浮かんだ渡し場から手を振ると、対岸にいた小舟がやってくる。

渡し賃100円を払って、小舟に乗船、自転車、小型バイクも可能らしい。

橋が架かってはいても、地元の方々の足は、どっこい生きているのでした。


その音戸の瀬戸の渡船のあいでに、小池さんはクルマを運転して橋を渡り対岸に移動。

まるで、至れり尽くせりの、広島観光の様相を呈してきた次第なのでした。


広島、ビューポイント、その2は、白い島。

遠目からでは、はてあれは一体なんなら?(なんですか?)近づいても、、?

解説、小池ボランティアガイド「海外から運んできた塩を積んであるんです」

たまげました、さすが瀬戸内海、塩長者の島、目を凝らすと白い山の頂上にブルトーザ。


広島、ビューポイント、その3は、呉港。

艦船、潜水艦、、凄い、横須賀よりも近くで見ることができました。

ここで映画『仁義なき戦い』の主人公について、小池ガイドのたいへん興味深いお話を伺っていたところで、ヒツジがレンガ倉庫の話でちゃちゃを入れてしまい遮ってしまう。

それは、小池さんしか知らない仁義なき、、、秘話だったのに、、、。

ヒツジを厳しく叱っておきましたので、また今度続きのお話を聞かせてください。


朝。エサを買った釣具店の駐車場の脇が、こういう砂浜なのでした。

ここでも、じゅうぶん釣りができる、実際、釣れるそうですよ。

残ったエサを砂浜に戻して、その上から濡れた海藻をかける小池さん。これでイソメはできるだけ生き延びることができるし、潮がさせば魚たちのエサにもなる。

広島市内へ戻りました。

 ということで、小池さんの絵を描き直してみました。前筆を撤回します。

お世辞でなく、ほんと、こういうタッチになってくるお人柄でした。

↓小池さんが釣りと日々をつづる「小池 勝の投げ釣りブログ」はこちらをポチっと。

http://enomiyakoike.blog.shinobi.jp/


小池さんに、広島駅前で下ろしていただき、私とヒツジは市電へ。

平日でしたが、電車を待つ方々のほとんどが、外国からのお客さんでした。


向かった先は、言わずものがな、、、ヒツジは縁あって長崎市にも住んでいたこともあり、広島、長崎、、、訪れると、一礼一巡してこないと落ち着かないのだとか。

新緑の芽吹いた公園を抜けて、地元小学生の歌声を聴きながら歩く遅い午後。


ふと、目についたのは、斬新モダンなビル、その名も折り鶴タワー。

入場料にはうっとなりましたが、せっかく来たのだからと後に引かず入場。

折り鶴を折り、手をあわせて、、さらに突然、ふと頭に浮かんだのは、西城秀樹さん。

ああ、あの方も、はやくも1年が、、、、いろんな想いめぐった広島の空。

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<参考図書ご案内>『投げ釣り列島縦断』(メディアボーイ社刊・税込み1700円)電話03-3576-4051
魚が好きなのか。釣りが好きなのか。求めて旅する、今日もまた。

「投げ釣り列島縦断」で検索ください。


2019年5月9日木曜日

GWは北陸で、令和の初釣り

ヒツジ(釣り執事)のお墓参りで金沢へ。新しい元号にあやかり、コースも刷新?


伊吹山が見えてきまして、、、中京と北陸との境界に来ていました。

いつもの上信越ルートとは違って、中央道経由、岐阜へ下りて国道21号線を西へ。

関ヶ原を越えて伊吹山を右手に見ながら、回り込むと福井県との県境でした。

金沢出身のヒツジ(釣り執事)は、この山に特別な思い入れがあるそう、北陸の入り口。

伊吹山が冠雪する頃は、より強く感じるそうですが、いまは新緑の山肌でした。


折角、久しぶりだからと、道筋を変えて琵琶湖に立ち寄ることに。

水辺に出ますと、まるで海のようです。なめると、当然、しょっぱくないですが、、、

長浜から北側の湖岸、さらに湖西の今津へまわりこんだりして、ドライブ散策。

普段、水辺は、海か川しか行かないので、みずうみ、というのがモノ珍しいのです。


道の駅で買った、サバそうめん、太巻き。

サバそうめんは、そうめんが出汁で煮込まれたもので、なんとも、うまし!

煮しめたサバの身をほぐして一緒に食べるのですが、なんとも、うまし!

太巻き、は、名前のとおり、だし巻きの太いこと、少なめのシャリ、これもうまし!

おなかいっぱい、眠くなり、布団を敷いた車中で、ZZZZといつものパターン。


コケコッコーッッッッ!!!!!!

翌朝は、敦賀市の気比神宮より開始、道中の無事を祈願しました。

敦賀は、東京でのメンバー、ブチョーことM部長の出身地。

ブチョーもGW帰省しているということで、合流する手はずなのでした。


待ち合わせの時間まで、あたりを散策していると見つけた鉄道車両。

遺構の赤レンガ倉庫と一緒に展示された小浜線のディーゼルカーでした。

前、横、後ろ、斜め前、斜め後ろと、角度を変えながら眺め入る鼻息の荒いヒツジ。

同じような鉄オジサンが、早朝にかかわらず、数人いたのが印象的でした。


当初、ブチョーと予定していた釣り場、気比の松原の海岸。

敦賀の名勝、風雅ななぎさの代名詞とも言われる佳景が広がるのでした。

しかし、先客万来の風景に、あぜん、ぼうぜん、これが、さすが、GWの現実か。

駐車場のナンバーは、中京、京阪神ばかり、地元福井はほんの少々。

高速道路を使えば、私が三浦半島へ行くぐらいの時間なので、納得!


苫小牧、博多とをつなぐフェリー埠頭側の護岸には、テント組も多々。

足場よく、冊もあって安全となれば、横須賀うみかぜ公園と同じ現状になりますな。

しばらく暮らしているような釣り家族の方々も、、、当然、駐車スペースは満タン。

喰う、寝る、釣る、サイコーや! みたいですが、肝心のお魚のほうは?


ということで、落ち合ったブチョーとは、敦賀から西寄りに移動して美浜の砂浜へ。

昨夜、ブチョーは遅くまでご親族との会合があり、少々お疲れの様子。

いまひとつエンジンのかかりが悪く、、、でしたが、陽が高くなるにつれて回復。

気温もあがり、ヒツジにいたっては、Tシャツ1枚、令和の初釣りとなりました。


若狭湾の、そのまた小さな湾の町、美浜の海岸。

美浜といえば、かの大物演歌歌手の出身地、ああ誰にも、故郷はあります。

つい、名曲を口づさみながら、、、あれっ、九頭竜川のほうははちょっと遠いかな?

真夏は、海水浴のお客さんで賑わうでしょうね。


東京にいるときより、なんとなくですが、リラックスしているブチョー。

敦賀に生まれて高校生まで過ごした町ですから、帰ってくれば、少年の時間?

地元の大手商業施設への就職の口もあった話などを伺いながら、釣り続けます。

ところが、アタリといえば、あるには、ある、そのあと、針がない。あれか?


さらに西に移動して、ちょっと遅めの昼食を大飯(おおい)町の道の駅にて。

それにしても、こんな立派な、豪華な、道の駅は、どこにもないでしょう的な、、、。

高級マリーナ、展望台、大型ショッピング施設まで併設された、大きな埋立て地。

エネルギーの街の繁栄が集約されているような?


肉そばを注文、こちらの出汁では、やはり、うどんがいいか、迷いましたが、そば。

うーん、やっぱり、うどんがよかったかな、と、どうでもいいことに悩むのが私。

でも、この出汁なら、うどんかそばか、、、は、日本列島の味覚基準のキモでは?

ブチョーは迷うことなくオアゲの乗ったうどんを頼んでいました。


大飯の湾でやってみたものの、ピクリともしないので、戻っての小浜港。

風が出てきたこともあり、港湾の奥にスペースを見つけて投げてみました。

まわりはすべてコマセを撒いてのアジ狙いの方々。

そのコマセに、シロギスもつられて寄ってこないかしら作戦(名前が長い)


小浜港でも、結構、粘ってみたのですけどね。

エサはちょっとなくなるけど、根元までは食べてこないというか細い食欲?

その正体すら解らないまま陽も傾いてきたところで無念のギプアップ。

敦賀市に戻り、地元ブチョーに、目一杯おごっていただきました。うまし! 

野球の盛んなご当地ならではの、プロ野球選手にゆかりある素敵なお店でした。

しかし、そのお店の写真を一切撮ってないヒツジの大バカもの!

とにかく、ごちそうさまでした、ブチョー!


ちなみに、敦賀といえば、通りに並ぶ屋台のラーメンが有名だそうです。

なるほど、むんむんと湯気のこもるビニールの囲いの中の熱気が伝わるよう。

それを待つ人たちも、まるで屋台をとりまくようにまたぞろ集まっており、、、。

風味やのせ物も博多長浜のような決め打ちではなく、屋台によりまちまちとか。


敦賀を離れて、舞台は石川県小松市へ。

梯川(かけはしがわ)のどこかで、小竿を伸ばそうとウロウロしてましたところ。

川に紐を渡してあり、そこに測量機材のような棒が2本づつ吊り下っており。

はて? あれはなにかと近づいたら、カヌーのスラローム大会をしていたのでした。


ちょうど、大会が終わったところで、参加者の方々も三々五々、お帰りの様子。

それなら、大丈夫でしょうと、短い小竿にウキのついた仕掛けを流してみる。

対岸のほうでは、ピチャっと魚が反転したり、姿が見えるものの、ウキは動かず。

カヌー大会のあとだから、動揺してるのかな?と考えながら、一向に動かないウキ。


動いていたのは、この子、ひさしぶりに見ました、おおきなアオダイショウくん。

場所を移動しようと土手上の路を歩いていたところ、横切ってくれました。

なにかいいことないかしら? 私の干支だし、ゲンかつぎ、諸々祈願。

シマヘビと違って、おとなしくておおらかなのがいいのです、アオダイショウくん。


釣りは諦め、梯川を遡上、かつての尾小屋銅山の廃坑を見に行こうとなる。

途中、河岸で人の賑わう場所があり、クルマを停めてみたら滝、鯉のぼり。

五月の節句ですからね、中学生ぐらいの男の子たちが濡れた身体を拭いている。

この季節に泳ぐ? 見守る女の子、なにか元服の儀式みたいな、、、。


尾小屋銅山の跡地に到着、ヒツジの目的は、展示されている尾小屋鉄道でした。

ヒツジは中2の冬まで、同級生たちとこの鉄道に乗ってスキー場に来たのだとか。

この日、ちょうど、車両を動かすイベントだったようで、後片づけをするスタッフを、

羨望の眼差しで眺め入るヒツジの鼻息がまた荒くなっていました。


線路の幅が、762ミリなのだとか。JRの在来線が1067ミリですから、

狭くて、小さくて、かわいい、軽便鉄道と呼ばれているそうです。

尾小屋鉄道は、尾小屋銅山から掘りだされた銅を運ぶために作られましたが、

やがて乗客を運ぶようになり、1971年の閉山後も1977年まで営業していたそうです。


車内は、まるでバスぐらい、、バスより狭い?

線路が狭くて、小さいので、車体、車内もこじんまりしています。

実質、いつも冬に乗ったというヒツジによると、向かいの人と膝があたりそう。

厚着なので立っている人には、とくに気を遣った記憶があると淡々と話す遠い目。


さらにヒツジ曰く。北陸線で小松駅に着くと、待っていたちいさな汽車とのギャップ。

冬なので、暖機運転のうなる音や煙がたまらなかったとのこと。

バスのようにクラッチを切ってギアを変えたり、雪の上り勾配はきつくて歩くような速度になり心配になったり、逆に下りは結構はやくてハラハラしたりと。

私は、右から左へ聞き流していたのですが、克明に覚えているそうです。

勉強が嫌で仕方なかった中学生が、釣りと並んで唯一没頭できた世界なのでしょうか。


鉄道の保存とともに、尾小屋鉱山の坑道の一部も公開されていました。

銅山開山の頃から閉山された1971年までの歴史、掘削の方法、技術の進化などが、

迷路のように入り組んだ坑道に展示、保存されていました。

採掘という職務の厳しさ、難しさが、歩く坑道で学べる内容でした。


翌日、金沢でのお墓参りのあと、クルマで医王山にのぼり、富山県側を見たところ。

屋敷林を持つ家と家のあいだが離れた砺波地方独特の風景を眼下に。

空気の澄んだ日の、早朝や夕刻は、またノスタルジックなのだとか。

金沢市街地は、観光シーズンまっただなか。ここは、人影まばらでのんびりでした。


最終日。東京へ戻る途中、親不知の海岸に寄ってみました。

あまりに天気がいいので、このまま帰るのが惜しい、でも遅くなると渋滞が心配。

盆、正月、GW、、、連休のドライブはつねにここの葛藤を抱えますね。

長い休みも今日で終わり、、、ああ明日は、、、その前にどれぐらい長い列が? ああ。


海岸に佇んでいる方々は、翡翠(ひすい)探しでした。

北アルプスから流れる姫川の運んで来た翡翠が、日本海の波に揉まれて、磨かれて。

北陸自動車道、国道8号線、トキめき鉄道、、、動脈の通る海岸線で、それができる。

波打ち際を眺めて、ついボォーっとしてましたら、コクン! なにかアタった!


えっ? えって? しばらく間を置いて、クンクンクンクンクンっと!

なにコレ、掛かった、やりましたと、お願いお願い姿を見せて、、巻いて巻いて。

小石の傾斜に現れたのは、おおっ。珍しい、私には。

カレイ! マコガレイのようでした、目が離れているのでちょっと違う、いやマコだ。

小柄ながら針を呑まれているので締めて、お土産、なんと、ボウズを免れた!

氷袋に入れて、あとはなんとか、早く帰宅しなければと、駐車場に戻ったのでした。


と、、、戻った駐車場。トランクを開けて、バーベQを始めていたのがお隣さんでした。

物事というのは出会いの妙、タイミングなのです、人生これ、ここが重要。

とても気持ちよくマコガレイを引き取ってくれた富山ナンバーのおふたりさん。

感謝、感激、胸いっぱいなのでした。親不知で、並ぶクルマのご縁かな。


しかも、なんと、魚のお返しにとばかりに、うなぎボーンをいただいてしまったのです。

えええ、そんな! えっ、いいんですかと、ズンズンずうずうしいオバサンな私。

帰り際に掛かった魚が、おやつに代わり、わらしべ長者みたいな北陸路。

お見送りまでいただいて、国道8号線を走り出した次第でありました。



そして、糸魚川市内に到着。今回、一応の、最後の目的地がおそば屋さん。

2016年12月の大火事で焼けた一角のお店の復活を知り、立ち寄ったのでした。

糸魚川のシンボルとも言える雁木のアーケードも、ちょいおしゃれに復刻。

大盛況の店内とおそばをいただいて、上信越道を東京へ向かいました。

↓真冬の糸魚川で釣り、先代の同店で食べたおそばはこちらをポチっと。


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