お盆だからなのでした。
私には初めての長良川、帰省だけではなく、川遊び、鮎釣り、河岸は賑わっていました。
また、郡上おどりの期間でもあり、高速や国道はクルマが数珠つなぎ。
夏と冬は東海北陸道に近づくな!(冬はスキーやボード)が定説だそうです。
裏道や川の反対側の細道を走るなどして進みました(郡上八幡付近)
お店前に筧が置かれて、竹の口から冷たい水が出ています。
御手水ですね、水筒に水を汲み入れる人がいたり。
まるで長良川に注ぐ毛細血管のような伏流水の数々。
お店の名前どおりの憩いかな(美濃白鳥駅前)
川とともに生きてきた。
育てた木をイカダにして流して、伊勢湾へ持って行く。
遡上してきたアマゴやアユを捕まえる。塩焼きで食べる。加工する。
山川草木と、岐阜・名古屋との相互通行を果たしてきたのが、清流、、、だった。
連夜にわたる徹夜おどり、420年間にわたる出逢いのコミニュケのひとつとも。
歴史のある郡上おどりは、地区、集落ごとにそれぞれ個性的なおどりがあるとか。
なかでも白鳥おどりはテンポがとても早くて、若い人たちに人気があるそう。
告知ポスターもこのあたりを意識して?
商店や家々の軒下に下がっていた不思議なカタチの灯り。
四角錐を4つ集めた、手裏剣のよう。
祇園に通じる、言わば、異国情緒たっぷりの夏の宵。
山間の清流の里山に、世界の熱情が集うのでしょうか。
あ。そうなのでしたか!
汽車(長良川鉄道)の前面に取り付けられた看板によると、白山が開山1300年!!!
白山は東京にもありますし、白山神社も各地にあります。
ヒツジの田舎側(石川県)からの登山が有名ですし、福井県、岐阜県。
三県の境界線に跨がって聳える2702mが白山、ヒツジは、しらやまさん、と呼んでいます。
奥美濃そば。
と書かれていたので、ついつい入ってしまいました。
山菜そば、、、、上品なツユに淡々とおそばが浮かぶ感じ。
でも、これはこれで、山紫水明な味といいますか、清流のおそばという感じでした。
釣り具店の店頭には水槽。
友釣りのオトリに使うアユが売られていました。
気になったのは、1枚の貼り紙でした。
「おみやげアユもあります」
ということは、、、、、、ボ、ボ、ボウズ、、、になるの!!!
橋上より見渡す長良川。
ちょうど、鮎釣り師たちが陸に上がった時間。
徹夜おどりのお囃子が聴こえてきました。
ヒツジによると、子どもの頃、おどりは休みなく三日三晩に渡り、倒れ込む人もいた。
涼しい夜中だけでなく、真昼も炎天下で踊るので、それは倒れるでしょう。
鮎立の鮎走(アユだてのアユばしり)
ヒツジの親戚の暮らす地区(旧郡上郡高鷲村)
鮎が立ったり、鮎が走ったり。すごい地名ですね。
しかし、かつて鮎より凄かったのは、アマゴの数。
タテジマに赤い斑点の群泳は、唖然、呆然とさせる量の、水中の光景だったそう。
という、かつて圧巻だった長良川でのひと泳ぎ。
ヒツジご親戚での、仏壇と墓前の礼拝、草刈り(ヒツジはあまりやらんかった)のあと。
見える山々と田畑はすべてご先祖より伝承という郡上の自然てんこ盛り。
まわりの鮎釣り師のご迷惑とならぬよう、しずしずと河川へ浅瀬より入っていきました。
覗いたのは、地元で二瀬と呼ばれる場所。
左側が長良川の本流で右側からは切立川、その合流地点。
ヒツジの親戚によると、天然の遡上アユが縄張りをつくる最上流の地点だそうです。
水中には、たくさんのアユの姿が見えました。
しかし、ヒツジによれば、ほぼすべてのアユが現地放流のアユたち。
いわゆる、ひとつの、「流れる釣り堀」なのだそうです。
現地放流のアユたちは、養殖されて放たれているために、丸っこいオデブさんが多い。
みな、仲良しで、縄張りなぞ作らずピクニックみたいになっていました。
確かに、私の田舎の荒川のアユたちとも、違う表情に見えました。
7月に泳いだ、日和佐川や宍喰川で見たアユたちとは、ボディラインがまるで違う!!!
流れの早い浅瀬を歩くヒツジ。
大きな石の裏を覗きながら首をかしげ、みるみるうちに無口になってきました。
小さなアユアケは見つけたそうです。私も小さなアマゴを見つけることはできました。
それでも、顔色が変わり、無言になっていくヒツジ。嫌な予感がしました。
そして、いつものセリフが開始されるのです。
「駄目や、終わった、なんでもかんでも終わった、、、、、、やはり駄目や」
↑これだけではないとは思う(思いたい)のですけどね。
いまや、すっかりお馴染みになった河口の巨大ダム、長良川河口堰。
1995年の実働開始以来22年、ご存知のように、水に生きる者たちは苦しくなりました。
岐阜市は天然の遡上アユを準絶滅危惧生物に指定しています。
もちろん、こうなることは最初から解っていたのでしょうけれどね。
わかっちゃいるけどやめられない、のが、このテの事業ということなのでしょうね。
走り出したら止まらないぜ、、という歌のようであります。
もちろん、装着にあたり、いいことずくめだった方々もいらっしゃるでしょう。
魚やカニ、エビなどが、行き来できるような細道はつけてはあります。
しかし、ヒツジによれば、これは、気休め、罪滅ぼし程度の軽装備でしかないとか。
というのは、アユもアマゴ(サツキマス)も、川と海を往来する魚。
上り下りいずれも、汽水域での、十分な準備期間がないと身体が駄目になるそうです。
河口堰は、その汽水域をパチっと二分しているため、上がるも地獄、下るも地獄。
子孫を残す、生命の持続が険しくなるのは、自明の理論であるとか。
確かに、上流側から水門を見ていると、下水の放流のようです。
水中の生物、海と川の生物の営みを、きっちり分けてしまったのですね。
最近、ヒツジは、川や河口で泳ぎながら歌う唄があります。しつこいぐらい。
南こうせつさんの「ひとりきり」
長崎の高校に通ったので、先輩同輩を通じて、こうせつさんは神のような存在だった?
とくに、サビの部分を水中メガネをつけながら歌うので、水を呑んでゲボってる。
オッサン、たいがいにしとけ、死ぬぞ。
ところで、長良川河口堰について。
開門しての調査が話題にのぼりますが、実現にはまだハードルも高く。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<宣伝>『投げ釣り列島縦断』(メディアボーイ社刊・税込み1700円)
投げ釣りだから出逢う。人と魚、人と人が、水辺・岸辺を共有して暮らすための視点で編集。つねに新しい発見や感動と、魚への愛を忘れないあなたに読んでいただきたい一冊。書店様、釣具店様で購入可能です。またインターネットでもお求めになれます。
「投げ釣り列島縦断」で検索ください。お問い合わせ メディアボーイ社03-3576-4051
こちらへコピペでクリックも http://www.mediaboy.co.jp/c2/index.html