到着は午前4時過ぎ。
南島原市の道の駅。
折しも季節風が吹き下ろし、翌日の東京は雪の予報とか。
びゅうびゅう唸る声を聞きながら、揺らされる車内で夜明けを待つ仮眠。
明けて、姿を現した雲仙普賢岳。
頂上付近は雲がかかってますが、草木ひとつない山容に圧倒されるばかり。
あの噴火から20余年、当時のニュース映像を思い出したり。
溶岩ドーム、火砕流、土石流という言葉が一般的に知れ渡りました。
振り返ると、傾斜の向こうに広がる有明海。
後ろから押されるようなおろし風ですが、日の光がさしてきました。
海辺は、引き潮の時間帯でした。
露出している河口の干潟が、浅い海、砂泥の海、有明の情緒をかきたてます。
運よく、水深を稼ぐための堤防を発見。
さっそく朝のひと振りといきました。
車内でちぢこまっていた身体を伸ばすのだ。
対岸の山のシルエットは、熊本県側。
ブルっときたぁーーーっ。
いいサイズです、朝陽が映えて美しい。美しかよ。キレイか。
はて、有明のキスは初めてではなかろうか。
さらに2尾が加わり、幸先よし。
島原半島を一周する国道をゆっくり南下。
雲仙の山々が角度によっていろんな姿に変わります。
ちなみに、雲仙とは、三峰五岳を総称する名称とか。
半島の中心に鎮座する、東西南北、大きな山体なのですね。
原城跡を巡る。
島原の乱で、蜂起した浪人、農民たちが籠城した高館の跡。
幕府の鎮圧軍によって、最後は、女、子ども容赦なく、約37000人が玉砕。
現在も、発掘などの調査が続けられているそうです。
駐車場には、全国各地からの来訪者が、クルマのナンバーから読み取れました。
見下ろす海は、風裏とあって、穏やか。
半島の南端付近、口之津の港へ来ました。
前を通り過ぎるのは、天草・鬼池港へ向かうフエリー。
鬼池という文字から、さだまさしさんも歌った「島原の子守唄」を思い浮かべました。
口之津港は、かつての「からゆきさん」たちを海外へ運び出した港としても有名。
厳しい歴史のある土地柄だと偲びつつ、釣りには興じている私。ああ。
モソっときて重い。
あまり引かない。重いだけ。これが水面にきたら、大きなキスに見えるところがミソ。
それは、カマスも同じ。もうひとつカマスと同じなのは、顔が怖いこと。
口をいーーーっと引いて、怖い、歯もこわい、エソ殿。
エソ、グーフの連続に、うーむとなっていたところ。
同行のヒツジが左隣りの先客氏より、情報を仕入れる。
港湾の反対側の護岸や堤防も、有望らしいと。
さらに港の中は止めておいたほうがいいとのこと。
ウミケムシが入れ喰い、、、、やりません、絶対に。
空腹になっていたこともあり、移動。
フェリー波止場にうまいものあり。
ヒツジがピンときたというので、口之津港の待合所の対面の食堂へ。
ビンゴ。
長崎県民にとって、これがマズいと店は継続できんとよ、とヒツジ。
私は、皿うどんか、野菜炒めか、迷いましたが、野菜炒め。
どちらも、うまか、おいしか、いやあ、旨いなあ。
フェリー乗り場とは、地場と、物流のターミナルステーション。
ここで店を張るばってん、旨いに決まっとろう(長崎に来ると長崎弁になるヒツジ)
東京における、立ち食いそばみたいなものですかね。
お腹もふくれて、移動した護岸より再開。
こちらは、口之津港の船道に近く、グンと水深もある。
横から季節風が吹き込むのはご愛嬌。
太陽燦々なので、気合い入れんばね。
あっ、マズイ。
いきなり、この子が、、、アタリは鮮烈だったのですが。
するっと戻せました。ヨカッタ。
水深があるので、この子はいますね。
さきほどのお隣りさんは、この子のオトナ版を狙っていたのかな?
モソっ、あらら。
エソが多いのは、イカダや釣り堀の副産物。
と、ヒツジは言います。
イカダからエサを入れる、したに小魚が集まる、それを狙ってエソが寄る。
人為的な食物連鎖が生まれるからとのこと。
少々、入れ喰いの様相に。ケムシでないから、ま、いいか。
投げる方向をいろいろ変えてみたところ。
ブルっときました。よかった。美しか。
気持ちいきいき、全国一律の、この顔と姿に、こころ弾むのです。
雲仙からの豊富な伏流水が、島原半島のキスゴを育てているとヒツジは言います。
クワッと引き込まれたあと、ビビビビビビビビビビビっと振動。
重い、ビビビビ、重い、ビビビビ。巻いてる最中もビビビビビビ。
おおっ、久方ぶりに拝見したニベの姿。
グググググゥーっとグチっています。
糸を通じてビビビビっと伝わったのは、この振動?
以上、釣り上げた魚たちは、この後にもご一緒したファミリー。
島原市からのご家族に快く貰っていただきました。
ちなみに、アジが回ってきて、ちびっ子たちは大忙し。
そのなかで、小6の少年が投げ釣りに興味を示してくれたのが印象的でした。
天ビンと仕掛けを結んであげたヒツジが、エサをつけて、
こっちだあっちだと指南していました。
私らが先に辞したあと、キスゴが釣れてくれてればいいのですが。
雲仙の山々に見守られて。
小腹が減ったので(また)、スーパーで、押し寿しを購入。
卵、デンブ、アオノリが載った鮮やかな寿し。
島原半島といえば、ソーメンが全国的に有名です。つまり麦の食文化。
そのなかで、米というのは、祭りの寿し、ハレの食事ではなかったかと思うのです。
これは、高知県のお寿しにも共通する、彩り豊かな押し寿しの存在性。
とても甘い酢のシャリをつまみながら、先ほどの子どもたちを思いだしたりして。
釣り疲れたところで(走り疲れて?食べ疲れて?)湯浴みへ突入。
半島西浦、橘湾に湧く小浜温泉(おばまおんせん)の共同浴場へ。
ちなみに、今回知ったことなのですが、雲仙とは「温泉」からの変換だったとか。
温泉の中国語読み、ウェンシエンを、国立公園に制定する時に、雲と仙に書き改めた。
日本史の、日の本らしい、九州ならではの古代命名に驚くばかり。
で、小浜温泉共同浴場は、通称おたっしゃん湯。
入浴料150円で堪能できた熱い潮の湯でした。
快適、疲れ、とれる、疲れ、とれる。
ヒツジは長崎市内の高校時代から、たびたび小浜温泉を訪れていたそう。
「いやあ、やはり元湯総湯はサイコーたいね!」
これが、雲仙「海の湯」と呼ばれるところ。
いきおい、今度は山の中へ分け入り、険しい傾斜を上っていく。
近ごろ、すっかり元湯や総湯にこだわってます。
雲仙温泉の街中にある共同浴場・湯の里へ。入浴料200円でした。
こちらは一転、硫黄や鉄分の溶けた白濁の湯。
玄関まわりは新しくなったそうですが、浴場内は昔の普請のまま。
ちなみに、雲仙「山の湯」と呼ばれるそう。
いやあ、これまたサイコー。疲れがとれ過ぎて、ふやけてしまいそう。ふぬけや。
ふぬけになったところでふと我に還ると、帰りの時間が心配になってきました。
急いで山を降りて、島原市の港へ急ぐ。
恒例、汽車があれば、ヒツジは撮ります。
島原鉄道。通称しまてつ。
ヒツジが長崎の高校生の時には、長崎駅から直通の汽車もあったとか。
線路も島原半島の突端部まで伸びていたそうです。
高1の時、大学ノートに写真を貼付けた随筆『我がこころの島鐵』というアルバム集をつくって、独り悦に入ってた、、、、、。
投げ竿を背負い、汽車を眺めながら、浜辺の集落をうろうろ。
ヒツジよ、おまえは一体どういう高校生、、、、いまも変わらんか。仕方なかね。
帰りはフェリーに乗って、熊本港経由。
時間を待つあいだ、風を避けて船溜まりでちょっと投げてみる。
強い季節風のおかげで雲がとれて、その全容を現した雲仙普賢岳。
人間にとって、災害と恵みとが共存するカタチともいえる島原半島のシンボル。
駆け足の、短い時間の散策でしたが、そのほんの一端に触れられたようで、うれしか。
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