2016年11月27日日曜日

運に恵まれた雲仙

先週23日の祝日を絡めて2日間、長崎県島原半島まで行ってきました。変わらぬ超速旅。


到着は午前4時過ぎ。

南島原市の道の駅。

折しも季節風が吹き下ろし、翌日の東京は雪の予報とか。

びゅうびゅう唸る声を聞きながら、揺らされる車内で夜明けを待つ仮眠。


明けて、姿を現した雲仙普賢岳。

頂上付近は雲がかかってますが、草木ひとつない山容に圧倒されるばかり。

あの噴火から20余年、当時のニュース映像を思い出したり。

溶岩ドーム、火砕流、土石流という言葉が一般的に知れ渡りました。


振り返ると、傾斜の向こうに広がる有明海。

後ろから押されるようなおろし風ですが、日の光がさしてきました。


海辺は、引き潮の時間帯でした。

露出している河口の干潟が、浅い海、砂泥の海、有明の情緒をかきたてます。


運よく、水深を稼ぐための堤防を発見。

さっそく朝のひと振りといきました。

車内でちぢこまっていた身体を伸ばすのだ。

対岸の山のシルエットは、熊本県側。


ブルっときたぁーーーっ。

いいサイズです、朝陽が映えて美しい。美しかよ。キレイか。

はて、有明のキスは初めてではなかろうか。

さらに2尾が加わり、幸先よし。


島原半島を一周する国道をゆっくり南下。

雲仙の山々が角度によっていろんな姿に変わります。

ちなみに、雲仙とは、三峰五岳を総称する名称とか。

半島の中心に鎮座する、東西南北、大きな山体なのですね。


原城跡を巡る。

島原の乱で、蜂起した浪人、農民たちが籠城した高館の跡。

幕府の鎮圧軍によって、最後は、女、子ども容赦なく、約37000人が玉砕。

現在も、発掘などの調査が続けられているそうです。

駐車場には、全国各地からの来訪者が、クルマのナンバーから読み取れました。

見下ろす海は、風裏とあって、穏やか。


半島の南端付近、口之津の港へ来ました。

前を通り過ぎるのは、天草・鬼池港へ向かうフエリー。

鬼池という文字から、さだまさしさんも歌った「島原の子守唄」を思い浮かべました。

口之津港は、かつての「からゆきさん」たちを海外へ運び出した港としても有名。

厳しい歴史のある土地柄だと偲びつつ、釣りには興じている私。ああ。


モソっときて重い。

あまり引かない。重いだけ。これが水面にきたら、大きなキスに見えるところがミソ。

それは、カマスも同じ。もうひとつカマスと同じなのは、顔が怖いこと。

口をいーーーっと引いて、怖い、歯もこわい、エソ殿。


エソ、グーフの連続に、うーむとなっていたところ。

同行のヒツジが左隣りの先客氏より、情報を仕入れる。

港湾の反対側の護岸や堤防も、有望らしいと。

さらに港の中は止めておいたほうがいいとのこと。

ウミケムシが入れ喰い、、、、やりません、絶対に。

空腹になっていたこともあり、移動。


フェリー波止場にうまいものあり。

ヒツジがピンときたというので、口之津港の待合所の対面の食堂へ。


ビンゴ。

長崎県民にとって、これがマズいと店は継続できんとよ、とヒツジ。

私は、皿うどんか、野菜炒めか、迷いましたが、野菜炒め。

どちらも、うまか、おいしか、いやあ、旨いなあ。

フェリー乗り場とは、地場と、物流のターミナルステーション。

ここで店を張るばってん、旨いに決まっとろう(長崎に来ると長崎弁になるヒツジ)

東京における、立ち食いそばみたいなものですかね。


お腹もふくれて、移動した護岸より再開。

こちらは、口之津港の船道に近く、グンと水深もある。

横から季節風が吹き込むのはご愛嬌。

太陽燦々なので、気合い入れんばね。


あっ、マズイ。

いきなり、この子が、、、アタリは鮮烈だったのですが。

するっと戻せました。ヨカッタ。

水深があるので、この子はいますね。

さきほどのお隣りさんは、この子のオトナ版を狙っていたのかな?


モソっ、あらら。

エソが多いのは、イカダや釣り堀の副産物。

と、ヒツジは言います。

イカダからエサを入れる、したに小魚が集まる、それを狙ってエソが寄る。

人為的な食物連鎖が生まれるからとのこと。

少々、入れ喰いの様相に。ケムシでないから、ま、いいか。


投げる方向をいろいろ変えてみたところ。

ブルっときました。よかった。美しか。

気持ちいきいき、全国一律の、この顔と姿に、こころ弾むのです。

雲仙からの豊富な伏流水が、島原半島のキスゴを育てているとヒツジは言います。


クワッと引き込まれたあと、ビビビビビビビビビビビっと振動。

重い、ビビビビ、重い、ビビビビ。巻いてる最中もビビビビビビ。

おおっ、久方ぶりに拝見したニベの姿。

グググググゥーっとグチっています。

糸を通じてビビビビっと伝わったのは、この振動?


以上、釣り上げた魚たちは、この後にもご一緒したファミリー。

島原市からのご家族に快く貰っていただきました。

ちなみに、アジが回ってきて、ちびっ子たちは大忙し。

そのなかで、小6の少年が投げ釣りに興味を示してくれたのが印象的でした。

天ビンと仕掛けを結んであげたヒツジが、エサをつけて、

こっちだあっちだと指南していました。

私らが先に辞したあと、キスゴが釣れてくれてればいいのですが。

雲仙の山々に見守られて。


小腹が減ったので(また)、スーパーで、押し寿しを購入。

卵、デンブ、アオノリが載った鮮やかな寿し。

島原半島といえば、ソーメンが全国的に有名です。つまり麦の食文化。

そのなかで、米というのは、祭りの寿し、ハレの食事ではなかったかと思うのです。

これは、高知県のお寿しにも共通する、彩り豊かな押し寿しの存在性。

とても甘い酢のシャリをつまみながら、先ほどの子どもたちを思いだしたりして。


釣り疲れたところで(走り疲れて?食べ疲れて?)湯浴みへ突入。

半島西浦、橘湾に湧く小浜温泉(おばまおんせん)の共同浴場へ。

ちなみに、今回知ったことなのですが、雲仙とは「温泉」からの変換だったとか。

温泉の中国語読み、ウェンシエンを、国立公園に制定する時に、雲と仙に書き改めた。

日本史の、日の本らしい、九州ならではの古代命名に驚くばかり。



で、小浜温泉共同浴場は、通称おたっしゃん湯。

入浴料150円で堪能できた熱い潮の湯でした。

快適、疲れ、とれる、疲れ、とれる。

ヒツジは長崎市内の高校時代から、たびたび小浜温泉を訪れていたそう。

「いやあ、やはり元湯総湯はサイコーたいね!」

これが、雲仙「海の湯」と呼ばれるところ。


いきおい、今度は山の中へ分け入り、険しい傾斜を上っていく。

近ごろ、すっかり元湯や総湯にこだわってます。

雲仙温泉の街中にある共同浴場・湯の里へ。入浴料200円でした。

こちらは一転、硫黄や鉄分の溶けた白濁の湯。

玄関まわりは新しくなったそうですが、浴場内は昔の普請のまま。

ちなみに、雲仙「山の湯」と呼ばれるそう。

いやあ、これまたサイコー。疲れがとれ過ぎて、ふやけてしまいそう。ふぬけや。

ふぬけになったところでふと我に還ると、帰りの時間が心配になってきました。

急いで山を降りて、島原市の港へ急ぐ。



恒例、汽車があれば、ヒツジは撮ります。

島原鉄道。通称しまてつ。

ヒツジが長崎の高校生の時には、長崎駅から直通の汽車もあったとか。

線路も島原半島の突端部まで伸びていたそうです。

高1の時、大学ノートに写真を貼付けた随筆『我がこころの島鐵』というアルバム集をつくって、独り悦に入ってた、、、、、。

投げ竿を背負い、汽車を眺めながら、浜辺の集落をうろうろ。

ヒツジよ、おまえは一体どういう高校生、、、、いまも変わらんか。仕方なかね。


帰りはフェリーに乗って、熊本港経由。

時間を待つあいだ、風を避けて船溜まりでちょっと投げてみる。

強い季節風のおかげで雲がとれて、その全容を現した雲仙普賢岳。

人間にとって、災害と恵みとが共存するカタチともいえる島原半島のシンボル。

駆け足の、短い時間の散策でしたが、そのほんの一端に触れられたようで、うれしか。

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