2019年3月3日日曜日

ディスカバー佐倉市

一昨年、長男が佐倉市で働き出しました。その縁あって度々いくのですが、、、、。


いつもお借りした部屋まで往復するばかりでは勿体ない。

折角のムスコのご縁だしと休日に回ってみることにしました。

駅パンフを読むと、かつては城下町、現在はベッドタウンとして発展したとのこと。

城下の施政は、徳川家の親戚代々が引き継いできたそうです。




京成電車の佐倉駅を降りて、駅前からまずは、その城跡へと歩いてみました。

佐倉へは、京成とJRのふたつの電車で行くことができます。

結果から言えば、お城へは京成が近い、、JRは新興の住宅地らしい。

これが、まんべんなく、適度に離れており、歩き甲斐のあったこと!


小山が見えてきて、お堀がある。

冬枯れの寂しい水辺ですが、鳥たちが浮かんでいて和ませてくれました。

佐倉は、桜の季節がまた見頃とかで、一帯も鮮やかなのでしょうね。

芽吹く前に訪れて、往時を想像する風流、風雅、、いえいえ、奇人の沙汰?


むむっ、これはなんだ?

城跡へ登る手前に大きな門構え、『国立歴史民俗博物館』と銘うたれておりました。

民俗、、、という言葉がこころに引っかかってしまう。ゾクがいいな、ぞくぞく。

とりあえず、ずいずいと坂道を登っていきまして、、、途中。


傍らの案内板には、佐倉城の明治維新後の写真と説明文。

陸軍の施設となるべく新しく構築されて、うんぬん、ま、お城ですからね。

いくさの城、居城を問わず、いざ有事に適した山の地勢、建造物の配置、、。

とか、読みながら、『国立歴史民俗博物館』通称レキハクに入りました。


入館料を払って、館内をまわること約3分、よし! レキハクの展示の数々に圧倒。

ビンゴでした、日本の歴史、人間の暮らし、習俗、、克明に、かつ大胆といいますか。

いままで、こんな博物館があったことを知らなかった私のバカ! と思ったほど。

写真↑は、平安時代の寝殿造り、お池遊び、釣りの原点とも言われる釣り殿に目がいく。


↑鎌倉時代の街の造り、ジオラマのスケールが違うのです。

俯瞰で、立体的に表現されており、現代の位置と確認しながら想像を膨らます。

この想像力を駆り立てる見せ方の工夫と申しますか、リアル表現力といいますか。

佐倉に着いて、知って、行き当り入った途端の、トクした感がいっぱいでした。


例えば、これが、上野にあったら、連日の超満員ではと、絶賛したい素晴らしさ。

いやはや、国立というのは、ここまで出来るんだなと、足ばかり止まりました。

しかし、ここで、ふと思ったのです。折角だから、今日はこのあたりにしないと、と。

また改めて訪れて、じっくり見学しようと決心、外へ出たのでした。

ちなみに、過去のミュージアムめぐり、絶対のおすすめはこちらも。

●釣り師必見 神奈川県立 生命の星・地球博物館

●野生動物、淡水魚も充実 東京都立 井の頭自然文化園
http://macobusa.blogspot.com/2018/04/blog-post.html


レキハクに隣接する植物園へ、立て続けに散策。

芽吹くにはまだ早い暦ですが、人間の衣食住に深く関わる草木が中心でした。

とくに、食べられる果実の木には、興味が増しますな、どうしても。

ここから、さらに佐倉市の城下町ぶりが、これでもかと展開されたのでした。


整えられた竹林をさかのぼっていく小径。

シーンと静まりかえったなか、竹が風に揺れるとささやくような声に聴こえました。

なんとも幻想的な空間、僅かな空を見上げながらゆっくり、ゆっくり。

竹と竹のあいだの下草も手入れが行き届き、感心すること、しきり。


武家屋敷が、いまも人の住む普請でしっかり残されていました。

陽当たりのいい温暖な気候に恵まれた千葉県ならでの産物でしょうか。

舗装をやめて、電線も外せば、そのまま江戸時代の往来が想像できるほど。

家屋や庭を公開開放されている家もありました。

足元と電線を映さなければ、このまま、時代劇が撮れますな。


佐倉市中心部の地鎮、多賀神社。

立派な鳥居と、古木の数々、大きな境内。

地元の方々らしいお年寄りグループ参拝のあとに並びました。

佐倉の神さま、どうか長男を何卒よろしくお願い申し上げます。


節句の雛飾りや、武具の専門店、立派な金物屋さん、、、、

さすが城下町、、、江戸をここまで残そうとする地域愛ひしひしと。

ちなみに、これまで佐倉といえば、あの、お方、、、ミスターの出身地。

プロ野球の顔、ミスターと呼ばれる方の出身地でしか知りませんでした。

ミスターの、明るく楽しく、礼儀正しい所作は、この郷土が生んだもの?


地域認定動物に、おっそわけを渡す人。

分けよ、与えよ、されば、来る、きっと来る。

厳寒期の壁を乗り越えて、ご城下にも、春がきますぞ、もうすぐですぞ。


なあーんにも知らんかった私のバカ! と思うこと、ふたたび。

てくてく歩いた先にあった、こじんまりしたクリニック、名前が刻まれていました。

江戸時代に開講開業、日本で初めての私学による西洋医学の学府は、佐倉なのでした。

てっきりお茶の水だと思ってましたよ、って、感慨も深く、人生は勉強だ。

建物が、大岡越前の親友イオリ先生の醫院みたいで、嬉しくなって歩きまわる。


JR佐倉駅に近づくと、川端、佐倉警察署、大きな鯉が泳いでいました。

商店街の外灯にあしらわれた、サクラとショウブ、佐倉は城山をめぐる水の街。

水郷地帯の一角でもあったのですね、米作り、だから城下町が成立した。

そのお城を中心に、古い街、新しい街が、まじりあう印象でした。


ぶらぶら、駅でもらったパンフを手に歩いてきまして。

なるほどなるほど、と、こういう標語看板も素敵だなと。

なかば脅し付けるような立て看板が主流のなかで、標語もどこか風雅だなあ。

いづれアヤメかカキツバタ、みたいな褒め方? おそまつ。


大佐倉駅まで歩き通して、ふたたび京成電車に乗る。

これで終了、成田駅へ向かい、帰りはJR成田線・総武線で帰るつもりでした。

でも、まだ陽が残っていた、三寒四温のこのごろ、元気も残っておりまして。

明日は仕事や、嫌や、まだ帰りたくない!

成田駅から、駅前をふらふらと歩き始めたのです。奇人の沙汰、、、。以後、オマケ。


成田山・新勝寺へ向かう表参道をてくてくと。

日も暮れてきたというのに、たいそうな人数が歩いていて、まるで京都のよう。

ま、これから、お寺さんへ向かうワケですから、街づくりも本場に似てきますかね。

じつは、正直に、成田へは初めて、、、成田といえば国際空港しか行ったことなし。

成田山へは、まったくのビギナーなのでした、正直に。


信じられないヤツだとお思いでしょうが、、、関東に生まれ育って成田山詣でが、なし。

まるでモグリのようなヤツなので、この際、モグリ脱却のためにと、足を伸ばした次第。

ちなみに、宮大工だった祖父はたいそう熱心な信奉者でありまして、毎年の正月は定例。

ひとりで自家用車を運転して、交通安全、家内安全の祈願をしておりました。

参道に置かれた干支のあたまを、なでなでしながら、ありし日の祖父をしのんだり。


そして、石段を上り詰め、本堂まで辿り着きました成田山新勝寺。

あたりは薄暗くなりまして、参拝の方々もまばら、そろそろ本堂も閉門かなの時刻。

おおきな境内、おおきなお寺、これが、東関東の仏門の雄、成田山なり、、と言いたげ。

そっと、交通安全の手をあわせてきました。


こうして石段を下りてまいりましたら、お土産、露天も店じまいの頃合い。

祭りの終わり、消される灯りのわびしさで、ぐっときちゃう光景でした。

ああ、これで休日も終わり、明日また電車に乗って職場に行かなきゃ、、ああああああ。

ええい、駅で缶ハイボールを購入、センチを振り払い勢いをつけて帰ってきました。

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